2008年8月に発売されたDies iraeのドラマCD第2弾は、今までのオマケ的なショートサイズではなく“正田崇の新規書き下ろしシナリオで、聖槍十三騎士団創設以前の前史が描かれる”と大々的に銘打たれたフルサイズの新作だった。
当時は完全版についての情報が皆無だったため(製作再開の本格的な情報が出てきたのは2009年に入ってから)リリース前は「ドラマCDなんて作ってる暇があったら正田は本編のシナリオを書け」とか「螢・玲愛ルートは幻のままで、このままドラマCDでお茶を濁すんじゃないか」などと言われていた。だが、いざ発売されてみると「ムカつくことに面白い」「なんでこのクオリティで本編(07年版)を書けなかったのか」「正田はやれば出来る子だった」「Gユウスケ良い仕事しすぎ」と高い評価を得、完全版発売に希望を繋ぐ結果となった。今から思うと、これは完全版のプロジェクト始動前に、正田崇のリハビリの役割を果たしてもいたのかもしれない。
(以下、ドラマCD『Die Morgendammerung』のネタバレを含みます。閲覧注意)
時系列はドラマCDパート 『Anfang』の後の1939年12月、オスカール・ディルレヴァンガーが売春窟で襲われたことを受けてゲシュタポが危険分子狩りを行い、それに当時ただの凶悪犯だったヴィルヘルム・エーレンブルグが巻き込まれるところから始まる。(ちなみに、史実においてこのディルレヴァンガーが率いた第36SS所属武装擲弾兵師団に、後にヴィルヘルムが所属するという設定になっていたりする)
Track01「Finsternis Ubermensch」はゲシュタポの追跡を逃れたヴィルヘルムが、軍歌を口ずさみながら虐殺を続けるシュライバーと接触してバトル開始。初っ端から「ヴィルヘルムに銃弾を撃ち込まれた(一発入った)シュライバーがキレて一気に凶悪化する」「男でも女でもなく孕んだり孕まされたりすることがないんだから、自分は一代で完結した不死の生き物だというシュライバーの狂人理論」と本編とリンクする伏線だらけ。ちなみに「教会の十字架にでも串刺してやらぁ!」と吼えるヴィルヘルムは笑うところ。ここでヴィルヘルムとシュライバーに因縁が生まれたことは、本編でも随所に影響している。
Track02「Einsatz」は特にバージョン違いとかではないが、最後のラインハルトのタイトルコールが入る。
Track03「Fordern Wahrsagen」は上の騒動を受けたカール・エルンスト・クラフト(メルクリウス)が手紙をしたため、その人を食った内容に憤慨したラインハルト・ハイドリヒが文句を付けにベルリン大聖堂に向かうまでの話。この台詞の応酬は「Anfang」に比較的近いが、メルクリウスの語り口が次第にイヤらしくなっていくところが聞き所。
Track04「Speculum Sine Macula」では“青春ど真ん中の16歳”ベアトリス・キルヒアイゼンが初登場。直属の上官であるエレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルグと連れ立って、件の売春窟の情報を求めてレーベンスボルンに向かう。ここでは「中尉と友達になれるの人なんて私くらいしか…」「貴様など庭で放し飼いにしている犬に過ぎん。図に乗るな」「わん♪」なんてベアトリスとエレオノーレの掛け合いの妙が楽しめる。この二人の関係性を知っているか否かということが、なぜ本編でエレオノーレが螢に殊更にキツく当たったのか?という理解に繋がってくる。
Track05「Schwacheres Gefas」では向かった先のレーベンスボルンで、エレオノーレの元・同期生としてリザ・ブレンナーが登場。リザはこの時期の姿が一番可愛いなー。(自らのことは最初から埒外に置いておいて)「女は信用するな」というのが人生の真理だと語るエレオノーレと、自らの性を隠さず、出来うるかぎり進んで“女”であろうとするリザとの対比はマリィ・香純ルートでの展開の礎となっているし、プレムービーver.3のような対立展開のための布石ともなっている。
Track06「Hexe und Verbrecherin」は、アーネンエルベ(ドイツ古代遺産継承局)の使いとして現れたアンナ・マリーア・シュヴェーゲリン(ルサルカ)に、東方正教会の司祭ヴァレリアン・トリファ(ヴァレリア/クリストフ)が聖遺物の引き渡しをしているシーン。ここでは人間だった頃の神父の異能が「人間・器物の思考や記憶が超高精度で読み取れてしまうサイコメトリー」であることが明らかになっている。それが故の苦悩と、アンナに指摘された「他人に同調しやすいということは、他人になれるかもしれない」という理屈はそのまま本編の内容(特に香純ルート)に密接に関わり合っている。ついでに二人が引き渡している代物の正体が闇の賜物「カズィクル・ベイ」であることは大笑いするところだ。よりによってそれかい(笑)
Track07「Magisch Grand-Guignol」はそれまでに出てきた登場人物が何かに引き寄せられるかのようにひとところに集まり、それが60年後まで続くグランギニョルの始まりとなる。これを予知していたメルクリウスの語り口は、極上の見世物をとびきりの特等席で眺めようとする傍観者であるかのような口調で、心底からイヤらしくてムカつく。
Track08「Totentanz」はTrack01から続いているヴィルヘルムとシュライバーの闘いにベアトリスとエレオノーレが乱入し、四つ巴の乱戦に突入する。ここでのポイントはアンナの人物評。男性陣は黒円卓入りする前から“人間を半分辞めちゃった”外道で「シュライバーが9点」「ヴィルヘルムが7点」「エレオノーレは人間だけど鍛え方が半端じゃないから7点」「ベアトリスは5点」と親切にスカウターで戦力分析をしてくれる。ちなみにリザは1点で神父はマイナス10点よーといい気になって話しているアンナだが、ラインハルトとメルクリウスを見た瞬間に、この世の者とは思えないその様に恐慌状態に陥る。なまじ他のキャラと違って黒円卓入りする前から魔道に手を染めていただけに、その格の違いを誰よりも理解できてしまったのだろう。その辺もルサルカらしいといえばらしいところだ。
Track09「Scharfsichtig Merkur」はその眼前の戦闘を眺めているラインハルトとカールの会話。「ラインハルトは他に並び立つ者などありはしない、ただ一人の超越者だ」「自らの飢えや渇きの正体から目を背け続けるのはやめろ」と諭すカールの声を聞いているうちに、いつしかラインハルトのカールへの呼び名が“詐欺師”から“卿”へと変わっていく。そしてついに、目の前で滑稽な争いをしている連中に対する破壊衝動・征服欲求(=自らの渇望)を自覚してしまう。
Track10「Goldene Hagalaz」は荘厳な「Gotterdammerung」(原曲はヴェルディのレクイエム)をバックにラインハルト無双。エレオノーレを一撃で叩きのめし、シュライバーの○○を抉り取り、ヴィルヘルムをフルボッコ。ついでにエレオノーレとベアトリスをゲシュタポに(強制的に)スカウトし、一般人'sを捕縛して、十三騎士団の元となる面子を一気に確保。ついに覚醒したラインハルトの姿を見て歓喜に打ち震えるカール(メルクリウス)は本当に変態チックだ。
Track11「Der Himmel」は悪魔の誕生を褒め称えるカールと、それにまんざらではないラインハルト。カールがラインハルトのことを既に「我が友」と呼んでいるあたりはさすが変態、やっと分かって貰えたと喜ぶストーカー的だ。さっそく捕らえたヴィルヘルムとシュライバーを痛めつけて屈服させ、ラインハルトの元で闘う獣の爪牙に仕立て上げ、来たるべき勝利を誓い合う「ジーク・ハイル・ヴィクトリア」「Dies irae teste David cum Sibylla」(彼の日こそ怒りの日なり。 ダヴィデとシビラの予言のごとし)というコールで幕を閉じる。
意識して聴き直してみると、もう全編伏線の塊と言えるかもしれない。団員同士の人間関係だったりエピソードについては、それを知っているかどうかで内容の理解に差が出る可能性は高い。特にエレオノーレ・リザ・ベアトリスの女性陣とヴィルヘルム・シュライバーの狂人コンビはドラマCDの内容を知っていることはかなり重要だろうと思われる。
ドラマCDとしての完成度も高いので、完全版をプレイする前に聴いておいた方が本編をより一層楽しめるだろう。関連商品で1枚だけ事前に選ぶなら、絶対にこれだ。たぶん、ドラマCDを聴いて予習する→完全版をプレイする→ドラマCDを聴き直して随所に張り巡らされたネタにニヤニヤするって流れが一番理想的なんじゃなかろうか。
ふと気付いたけれど、このドラマCD舞台が1939年の12月24日ってことは、ファーブラの発売日となる2009年の12月25日でジャスト70年か。………さすがにここまで狙ってやったってことはないよなあ。たぶん。
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