映画の尺の問題もあるのかもしれないが、作劇のセオリーを軽視した形で物語が進んでいくことに不満がある。健二の陣内家に対しての共感にしても、夏希の土壇場の勝負強さも、物語の中で十分なフリが無いままでヒョロッと出てくるから、どうにも御都合主義的な展開のようにみえてしまう。
事前のプレスでピックアップされている夏希が健二の手を握って泣いているシーンも、夏希と健二の関係がそれまで「ワガママな憧れの先輩に振り回される気弱な後輩」くらいにしか描写されておらず、夏希からみた健二というのがいまひとつ不明瞭なため、やはり唐突な印象がある。
この脚本のプロットレベルでの酷さは『時をかける少女』の時にもうすうす感じていたことだけれど、話のスケールが大きくなっているぶん今回のほうが酷い。一言でいえば伏線はちゃんと張ってくれってことだ。
そもそも信州上田を舞台にして『ぼくらのウォーゲーム』をやるって時点で無理があるんじゃないのかこれ。田舎の旧家という旧時代的なアナログな舞台と、全世界規模の仮想現実というデジタルかつ未来的な舞台の両者の摺り合わせが充分ではないためか、OZ内での描写や現実世界の混乱と上田の陣内家でおきる“家族の問題”の両者が断絶している印象を受ける。
断絶といえば。ストーリー構成が中程度の盛り上がりが何度も続くようになっているが(キングカズマ第1戦、栄おばあちゃん大活躍、キングカズマ第2戦、こいこい、人工衛星の落下回避)さすがは細田守だけあって個々のシーンは盛り上がるんだけれども、感情曲線がその都度ふらふらとアップダウンを繰り返す。そのためクライマックスでも気持ちをピークに持っていけないため、微妙に不完全燃焼の感が漂う。
夏希のこいこいの場面にクライマックスを持ってきて物語を収束させていれば、その演出のレベルの高さでもって力業で納得させられていたかもしれないんだけど。健二の活躍は夏希のこいこいと同時進行でいいじゃん。OZ世界では夏希がこいこいでラブマシーンに勝負を挑み、現実世界の衛生落下による夏希本体の危機は健二(と侘助)が守るみたいな流れだったら、それなりに上手くまとまったんじゃないかなあと。
(ある意味では、それをうまくやったのが同じ貞本義行キャラデザの『エヴァンゲリオン新劇場版:破』といえるかもしれない。中程度のイベントを数珠つなぎにして旧TV版の物語を回収しつつ、その途中の流れをクライマックスのシンジ覚醒~綾波救出のシーンに繋げてグワッと盛り上がらせていたから)
と、あげつらえば微妙なところばっかりなんで「絵や演出はいいんだけど話は(略)」という残念な架空世界映画の典型に見えるんだけれど、それでも許してしまおうという思わされる魅力がこの作品にはある。なんだかんだ言いつつも演出は最高レベルで良いし、作画レベルもマッドハウスの劇場アニメだから最高級だ。俳優を多用したキャスティングもそう違和感はなく概ね成功と言って良いだろう。
なにより、今作は映画館の独特の空気の中で大きいフレームの中で見ることで楽しくなる作品になっている。(これは時かけもそうだったけれど)それが出来る監督はなかなか貴重なので、その点だけでも映画として正しく評価すべきかなあと。(その意味ではヱヴァ破は“映画の作り”ではないかな。公開そのものを大きなイベントに仕立て上げるという点ではともかく)
自分も、2回目のはずなのに、映画館を出た時に「映画を観た」という気分になったからな。チケット代もったいなかったかなとか思っていない。流れで観た別の映画(名は秘す)は金返せレベルだったけど。
細田守 『サマーウォーズ』
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