『Dies irae ~Acta est Fabula~』の成功で知名度が上がった事により一時期えらくプレミアがついていたが、先日めでたく再販された正田崇のデビュー作である『PARADISE LOST』新装版。その初回版には正田崇・Gユウスケ・与猶啓至というディエスチームの新作『神咒神威神楽』の超先行体験版が同梱されていた。パラロス以来の正田崇の信者としてはこれをプレイしない手は無いと発売日に喜び勇んでプレイしてみたら、あまりのツボにハマった内容に無限ループが発動。なんか既知感が漂うなあと振り返ってみるとまさしく07年版ディエスの一番最初の体験版で同じことやってた記憶がフラッシュバックして俺のデジャヴが止まりませんよ。おかしいな、永劫回帰はもう抜けたはずなんだけどなあ。
本作の世界観のベースとなるのはDies iraeのマリィルートED後の遥か未来で、新たな流出の器である最悪の引き籠もり「第六天波旬」が蓮・ラインハルト・メルクリウスを屠りマリィを蹴落として座に到達してしまったというDiesユーザーとしてはなんじゃそらという驚愕のif展開が発生。世界法則が書き換わった結果、魔界の理「大欲界天狗道」が支配するようになった無道の世界が舞台。神や死後の概念が存在せず、ゆえに道徳観念が存在しない。人に備わるべき仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の八徳は言葉以上の意味を持たない。誰もが自分自身という神を崇め僭称し、真の意味での利他が存在しない。世界の住人すべてが天上天下唯我独尊・俺つえーな厨二病に侵されているという、いかにも正田崇らしい世界ですな。(冒頭の咲耶のモノローグでは「誰しもが自己愛性人格障害であった」とバッサリと両断されとりましたが)
そんな世界の葦原中津国(数万年後の日本で文明レベルは幕末前後を想定)は琵琶湖のあたりで南北にずんばらりん。東方はまつろわぬ民・異形の土蜘蛛“化外”が跋扈する“穢土”と化しており、そこから溢れ出る陰気は確実に西側を汚染し続けている。更には西洋の列強からは開国の重圧が差し迫っているという内憂外患の状況。その亡国の危機を打破すべく再度の東征が企図され、それに先駆けて「神州の益荒男を募る撃剣の神楽」として真剣を用いた御前試合が行われ、そこで主人公たちが出逢う――というのが体験版部分のアウトライン。
さて、上に挙げた天狗道の理。理屈はともかく感覚としてはいまひとつピンと来ませんでした。そして「真剣を用いた御前試合」とは言っても、最終的に仲間になるというのは粗筋ですでに分かっていたことなので、ガチンコの決闘とはいっても、あくまで題目の流れに沿った上で行われるものだろうと思っていました。ええ。これは私のみならず大半のユーザーが思っていたことだと思います。が。
いざ御前試合が始まってみたら、宗次郎がいきなり雑魚共をまとめてずんばらりんするという暴挙に出て作中人物同様ポカーンとしたかと思えば、ただの地位を笠に着た嫌味なイケメンのテンプレートにしか見えなかった冷泉公が「戦場であろう。死に場所であろう。命を賭して武心を燃やす、晴れの舞台であろうがよ!」と呵々大笑するわ、比較的マトモだと思っていた紫織ねーさんも失言カマした宗次郎をドツキ倒すわ中指押っ立てるわ、抑え気味だったヒャッハー成分を解放して殺る気まんまんでベイ…もとい刑士郎は暴れ回るわであれよあれよといううちにセメントマッチに大突入。この怒濤の展開に、確かにこの狂乱は龍明が言うところの死者の踊りであり、天狗道の世界は魔界の道なのだなと納得させられてしまった。
そして、そんな無道の理が大勢を支配する世界だからこそ、竜胆が放つ「至高の芸と誇るなら魂を懸けろ」という口上には他者を変えうる強い輝きがあるし、それに呼応して名乗りを上げた覇吐の啖呵にはこれから何かが始まるのだという大きな流れの脈動が感じられる。序盤も序盤、物語の全貌もまだ分からない今の時点でこれほどまでに興奮させられるなら、製品版はさぞかし素晴らしい作品になるのではないかという、07年版ディエスの体験版の時に感じたものと同質の予感に心底打ち震えてしまう。怒りの日で懲りてないのかって?ほっとけ。
ちなみに神楽の最終幕での選択肢は次章冒頭での以下のエピソードに繋がっているため、それが公開されている8人4ルートの展開の大まかな予想にもなりそうだ。個人的に気になるのは、やはりディエス世界との関連性という点で夜行様ルートかな。
曰く天魔、大魔縁八柱と呼ばれる宿敵・「夜都賀波岐(やつかはぎ)」は、『常陸国風土記』に記述がある土蜘蛛の異称であり“まつろわぬ化外の民”の象徴。体験版部分では影も形も見えなかったが、正田崇がTwitterなどで散々脅しているから登場した暁にはさぞとんでもないことになるんだろうなあとワクワクしてくる。冒頭でさらりと名前が判明した八柱だが、元ネタとしては「悪路(あくろ)」は「悪路王」だろう。阿弖流為と同一視され、坂上田村麻呂の伝説と合わせて語られることもあるからまず間違いなく覇吐と相対するに違いない。
「母禮(もれい)」はおそらくは「盤具公母礼」から。蝦夷の長である阿弖流為と共に戦って、やはり坂上田村麻呂に破れたとされている。
「奴奈比売(ぬまひめ)」は「沼河比売(奴奈川姫、高志沼河姫とも)」からだろうか。大国主と交わり建御名方神を生んだとされるが、その建御名方神は国譲りの神話の中で建御雷神(=朝廷)に破れたと古事記で語られている。
「宿儺(すくな)」は「両面宿儺」からか。頭の前後に顔がある異形の魔物であり、日本書紀では朝敵とされているが、地方では英雄や文化の担い手ともされている、やはり化外の民の象徴的なもの。
「紅葉(もみじ)」は何だろう?と思ったが、2chとか焼津さんの所の解釈を読む限りでは「鬼女紅葉」ではないかとする説が有力のようだ。言われてみればこれも都を追われ「鬼」となるも退治されたまつろわぬ民の象徴であろうし。(参考URL)。
「常世(とこよ)」は常世の国=あの世でもあるので判断に困るが、字面だけ取れば富士川の「常世虫(常世神)」信仰からだろうか?
そして「大獄(おおたけ)」は「大獄丸」だろうな。酒呑童子、玉藻前と並んで中世の三大妖怪と称される大物妖怪であり大鬼。
「夜刀(やと)」は疑うまでもなく「夜刀神」。風土記に登場する蛇神だが、この世界観において(そしてディエスをプレイしていれば)蛇といって想起されるのは言わずもがなの水銀スネーク。夜行あたりと絡んで世界の変転の真実に重要な役割を示していくのではないだろうか。
ゲームエンジンは『タペストリー -you will meet yourself-』以降の新しいシステムに切り替わっており、画面もワイド化、解像度も最大1920x1125のフルHD対応となっているのだが、これが素晴らしく良い。高解像度・ワイド画面での戦闘というのはそれだけでも大迫力だが、何よりGユウスケの原画とそれを彩るCG彩色が素晴らしい。Gユウスケがディエスを経て大幅に位階を上げているのは言うまでもないことだが、筆で描かれたようなタッチ・彩色の雰囲気がそれを支えており、とてもカッコいい。特に宗次郎の抜刀CGとか。
しかし、だからこそ勿体ないのは、システム側でデフォルト選択されているフォントがMSゴシックで、せっかく腐心して作り上げられた和風の雰囲気が台無しになっていること。風情に欠けること甚だしいったらありゃしない。任意のフォントに変更しても「唵(オン)」などの機種依存文字は選択したフォントによっては表示出来なかったりするのも難しめの漢字が乱舞する本作では演出上の問題になるのではという危惧もある。やはりこのあたりでも記述があるように和風なフォントを正式にライセンスしてシステム側に強制的に組み込んで扱えるようにした方が、それっぽい雰囲気を引き出せて良いのではないかと思う。これは製品版の発売までには何らかの形で改善してほしい箇所だ。
それから、画面のエフェクトや効果音にディエスと共通したものが多く、画面演出もそれほど代わり映えしないというのも少々気に掛かる。超先行”体験版だからリソースが足りなかったのかもしれないが、もっと頑張って上を目指して欲しいと願う。ここ5年くらいの優れたADVはどれも画面演出に意識的だと思うしさ。
パラロス・ディエスに引き続き今作でも与猶啓至が音楽を担当。以前のエントリではムービーでの印象だけで「一発で持っていく必殺曲がないような気がする」とか寝言抜かしてましたが、とんだ誤解でした本当にすみません。体験版の範囲内だけでも壮大かつ豪華絢爛な必殺曲の乱れ撃ちで完全ノックダウンでございます。正田崇と組んだプロダクトでは毎回とても良い仕事をしている氏だが、今作もその期待に違わぬ素晴らしい出来。スタイリッシュ和風伝奇という作品の方向性を意識しているのか笛や太鼓などの和楽器の音色をフィーチャーしているけれど、ベタなやり方といえばそれまでだけどとてもキャッチーで耳に残る。与猶啓至マジパネエ。
作品の要となる戦闘曲はどれもこれも気合いが入った素晴らしい曲揃いだけど(逆に「Rozen Vamp」の和風アレンジバージョンの方が異色に見える不思議)特にタイトルバックに流れる曲の中盤40秒あたりからの展開が物凄くツボでツボでもうガード不能です。ディエスの「Letzte Bataillon」の1分20秒あたりからのギターソロの展開が大好きで大好きでたまらないんだけど、どこか快感のツボが似ているような気もする。
今作はどうやってもディエスとの比較は避けえないのだが、体験版の範囲内に限っていえば、ディエス序盤のような「なにこの無理ゲー。どうすりゃこんな化け物と戦えるようになるんだよ?」という胃をねじ切られるような緊迫感のようなものは無かった。更に、複数主人公で序盤から視点がこまめに移動するからか、どのような意志でもって東征に赴くのかというモチベーションが読み取りにくかったのも確かではある。(ディエスであれば、序盤で蓮の「それでも、何が何でもこいつらに勝たなければいけないんだ!」という悲壮な決意はヒシヒシと体感できていた)。そのため、ディエスの最初の体験版と比べた時のインパクトとしてはどうか?と言われれば劣ると言わざるをえない。とはいえ今回プレイできたのは序盤も序盤であり、ディエスだったら体験版部分のベイとの胴回し蹴り(笑)とかやってた戦闘から、ファーブラ終盤のフィナーレ堕天モード初披露の驚愕を類推できるかと言われればそれは無理なので、今の段階でグダグダ言うのは意味がないことでもある。
ファーブラの成功(結果的には大成功と言って良いだろう)で怒りの日の醜聞の禊ぎが済んだとすれば、今回こそが正田崇にとっての、そしてlightにとっての正念場なのは言うまでもないこと。上がりに上がった我々の期待を裏切らない、傑作と呼べる素晴らしい出来に仕上がっていることを心より待ち望んでいるし、そうあれかしと信じたい。だから、無理して今年の夏に間に合わせたりしなくてもいいから、お願いだから、いざ発売日になってみたら六英雄ならぬ魔脚本大八柱が降臨していましたとかそんなオチだけはもう勘弁な。さすがにあの苦行の日々をもう一度乗り切れる自信はないぞ。
本作の世界観のベースとなるのはDies iraeのマリィルートED後の遥か未来で、新たな流出の器である最悪の引き籠もり「第六天波旬」が蓮・ラインハルト・メルクリウスを屠りマリィを蹴落として座に到達してしまったというDiesユーザーとしてはなんじゃそらという驚愕のif展開が発生。世界法則が書き換わった結果、魔界の理「大欲界天狗道」が支配するようになった無道の世界が舞台。神や死後の概念が存在せず、ゆえに道徳観念が存在しない。人に備わるべき仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の八徳は言葉以上の意味を持たない。誰もが自分自身という神を崇め僭称し、真の意味での利他が存在しない。世界の住人すべてが天上天下唯我独尊・俺つえーな厨二病に侵されているという、いかにも正田崇らしい世界ですな。(冒頭の咲耶のモノローグでは「誰しもが自己愛性人格障害であった」とバッサリと両断されとりましたが)
そんな世界の葦原中津国(数万年後の日本で文明レベルは幕末前後を想定)は琵琶湖のあたりで南北にずんばらりん。東方はまつろわぬ民・異形の土蜘蛛“化外”が跋扈する“穢土”と化しており、そこから溢れ出る陰気は確実に西側を汚染し続けている。更には西洋の列強からは開国の重圧が差し迫っているという内憂外患の状況。その亡国の危機を打破すべく再度の東征が企図され、それに先駆けて「神州の益荒男を募る撃剣の神楽」として真剣を用いた御前試合が行われ、そこで主人公たちが出逢う――というのが体験版部分のアウトライン。
さて、上に挙げた天狗道の理。理屈はともかく感覚としてはいまひとつピンと来ませんでした。そして「真剣を用いた御前試合」とは言っても、最終的に仲間になるというのは粗筋ですでに分かっていたことなので、ガチンコの決闘とはいっても、あくまで題目の流れに沿った上で行われるものだろうと思っていました。ええ。これは私のみならず大半のユーザーが思っていたことだと思います。が。
いざ御前試合が始まってみたら、宗次郎がいきなり雑魚共をまとめてずんばらりんするという暴挙に出て作中人物同様ポカーンとしたかと思えば、ただの地位を笠に着た嫌味なイケメンのテンプレートにしか見えなかった冷泉公が「戦場であろう。死に場所であろう。命を賭して武心を燃やす、晴れの舞台であろうがよ!」と呵々大笑するわ、比較的マトモだと思っていた紫織ねーさんも失言カマした宗次郎をドツキ倒すわ中指押っ立てるわ、抑え気味だったヒャッハー成分を解放して殺る気まんまんでベイ…もとい刑士郎は暴れ回るわであれよあれよといううちにセメントマッチに大突入。この怒濤の展開に、確かにこの狂乱は龍明が言うところの死者の踊りであり、天狗道の世界は魔界の道なのだなと納得させられてしまった。
そして、そんな無道の理が大勢を支配する世界だからこそ、竜胆が放つ「至高の芸と誇るなら魂を懸けろ」という口上には他者を変えうる強い輝きがあるし、それに呼応して名乗りを上げた覇吐の啖呵にはこれから何かが始まるのだという大きな流れの脈動が感じられる。序盤も序盤、物語の全貌もまだ分からない今の時点でこれほどまでに興奮させられるなら、製品版はさぞかし素晴らしい作品になるのではないかという、07年版ディエスの体験版の時に感じたものと同質の予感に心底打ち震えてしまう。怒りの日で懲りてないのかって?ほっとけ。
ちなみに神楽の最終幕での選択肢は次章冒頭での以下のエピソードに繋がっているため、それが公開されている8人4ルートの展開の大まかな予想にもなりそうだ。個人的に気になるのは、やはりディエス世界との関連性という点で夜行様ルートかな。
新たな世界を生み出す者 = 坂上覇吐・久雅竜胆 =神世創生篇
逃れえぬ因果の縛りに抗う者 = 凶月刑士郎・凶月咲耶 = 楽土血染花篇
己が求道を貫く者 =壬生宗次郎・玖錠紫織 = 威烈繚乱篇
世界の真理に至る者 =摩多羅夜行・御門龍水 = 咒皇百鬼夜行篇
曰く天魔、大魔縁八柱と呼ばれる宿敵・「夜都賀波岐(やつかはぎ)」は、『常陸国風土記』に記述がある土蜘蛛の異称であり“まつろわぬ化外の民”の象徴。体験版部分では影も形も見えなかったが、正田崇がTwitterなどで散々脅しているから登場した暁にはさぞとんでもないことになるんだろうなあとワクワクしてくる。冒頭でさらりと名前が判明した八柱だが、元ネタとしては「悪路(あくろ)」は「悪路王」だろう。阿弖流為と同一視され、坂上田村麻呂の伝説と合わせて語られることもあるからまず間違いなく覇吐と相対するに違いない。
「母禮(もれい)」はおそらくは「盤具公母礼」から。蝦夷の長である阿弖流為と共に戦って、やはり坂上田村麻呂に破れたとされている。
「奴奈比売(ぬまひめ)」は「沼河比売(奴奈川姫、高志沼河姫とも)」からだろうか。大国主と交わり建御名方神を生んだとされるが、その建御名方神は国譲りの神話の中で建御雷神(=朝廷)に破れたと古事記で語られている。
「宿儺(すくな)」は「両面宿儺」からか。頭の前後に顔がある異形の魔物であり、日本書紀では朝敵とされているが、地方では英雄や文化の担い手ともされている、やはり化外の民の象徴的なもの。
「紅葉(もみじ)」は何だろう?と思ったが、2chとか焼津さんの所の解釈を読む限りでは「鬼女紅葉」ではないかとする説が有力のようだ。言われてみればこれも都を追われ「鬼」となるも退治されたまつろわぬ民の象徴であろうし。(参考URL)。
「常世(とこよ)」は常世の国=あの世でもあるので判断に困るが、字面だけ取れば富士川の「常世虫(常世神)」信仰からだろうか?
そして「大獄(おおたけ)」は「大獄丸」だろうな。酒呑童子、玉藻前と並んで中世の三大妖怪と称される大物妖怪であり大鬼。
「夜刀(やと)」は疑うまでもなく「夜刀神」。風土記に登場する蛇神だが、この世界観において(そしてディエスをプレイしていれば)蛇といって想起されるのは言わずもがなの水銀スネーク。夜行あたりと絡んで世界の変転の真実に重要な役割を示していくのではないだろうか。
ゲームエンジンは『タペストリー -you will meet yourself-』以降の新しいシステムに切り替わっており、画面もワイド化、解像度も最大1920x1125のフルHD対応となっているのだが、これが素晴らしく良い。高解像度・ワイド画面での戦闘というのはそれだけでも大迫力だが、何よりGユウスケの原画とそれを彩るCG彩色が素晴らしい。Gユウスケがディエスを経て大幅に位階を上げているのは言うまでもないことだが、筆で描かれたようなタッチ・彩色の雰囲気がそれを支えており、とてもカッコいい。特に宗次郎の抜刀CGとか。
しかし、だからこそ勿体ないのは、システム側でデフォルト選択されているフォントがMSゴシックで、せっかく腐心して作り上げられた和風の雰囲気が台無しになっていること。風情に欠けること甚だしいったらありゃしない。任意のフォントに変更しても「唵(オン)」などの機種依存文字は選択したフォントによっては表示出来なかったりするのも難しめの漢字が乱舞する本作では演出上の問題になるのではという危惧もある。やはりこのあたりでも記述があるように和風なフォントを正式にライセンスしてシステム側に強制的に組み込んで扱えるようにした方が、それっぽい雰囲気を引き出せて良いのではないかと思う。これは製品版の発売までには何らかの形で改善してほしい箇所だ。
それから、画面のエフェクトや効果音にディエスと共通したものが多く、画面演出もそれほど代わり映えしないというのも少々気に掛かる。超先行”体験版だからリソースが足りなかったのかもしれないが、もっと頑張って上を目指して欲しいと願う。ここ5年くらいの優れたADVはどれも画面演出に意識的だと思うしさ。
パラロス・ディエスに引き続き今作でも与猶啓至が音楽を担当。以前のエントリではムービーでの印象だけで「一発で持っていく必殺曲がないような気がする」とか寝言抜かしてましたが、とんだ誤解でした本当にすみません。体験版の範囲内だけでも壮大かつ豪華絢爛な必殺曲の乱れ撃ちで完全ノックダウンでございます。正田崇と組んだプロダクトでは毎回とても良い仕事をしている氏だが、今作もその期待に違わぬ素晴らしい出来。スタイリッシュ和風伝奇という作品の方向性を意識しているのか笛や太鼓などの和楽器の音色をフィーチャーしているけれど、ベタなやり方といえばそれまでだけどとてもキャッチーで耳に残る。与猶啓至マジパネエ。
作品の要となる戦闘曲はどれもこれも気合いが入った素晴らしい曲揃いだけど(逆に「Rozen Vamp」の和風アレンジバージョンの方が異色に見える不思議)特にタイトルバックに流れる曲の中盤40秒あたりからの展開が物凄くツボでツボでもうガード不能です。ディエスの「Letzte Bataillon」の1分20秒あたりからのギターソロの展開が大好きで大好きでたまらないんだけど、どこか快感のツボが似ているような気もする。
今作はどうやってもディエスとの比較は避けえないのだが、体験版の範囲内に限っていえば、ディエス序盤のような「なにこの無理ゲー。どうすりゃこんな化け物と戦えるようになるんだよ?」という胃をねじ切られるような緊迫感のようなものは無かった。更に、複数主人公で序盤から視点がこまめに移動するからか、どのような意志でもって東征に赴くのかというモチベーションが読み取りにくかったのも確かではある。(ディエスであれば、序盤で蓮の「それでも、何が何でもこいつらに勝たなければいけないんだ!」という悲壮な決意はヒシヒシと体感できていた)。そのため、ディエスの最初の体験版と比べた時のインパクトとしてはどうか?と言われれば劣ると言わざるをえない。とはいえ今回プレイできたのは序盤も序盤であり、ディエスだったら体験版部分のベイとの胴回し蹴り(笑)とかやってた戦闘から、ファーブラ終盤のフィナーレ堕天モード初披露の驚愕を類推できるかと言われればそれは無理なので、今の段階でグダグダ言うのは意味がないことでもある。
ファーブラの成功(結果的には大成功と言って良いだろう)で怒りの日の醜聞の禊ぎが済んだとすれば、今回こそが正田崇にとっての、そしてlightにとっての正念場なのは言うまでもないこと。上がりに上がった我々の期待を裏切らない、傑作と呼べる素晴らしい出来に仕上がっていることを心より待ち望んでいるし、そうあれかしと信じたい。だから、無理して今年の夏に間に合わせたりしなくてもいいから、お願いだから、いざ発売日になってみたら六英雄ならぬ魔脚本大八柱が降臨していましたとかそんなオチだけはもう勘弁な。さすがにあの苦行の日々をもう一度乗り切れる自信はないぞ。
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