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『乙女理論とその周辺-Ecole de Paris-』 感想

乙女理論とその周辺-Ecole de Paris-
乙女理論とその周辺 -Ecole de Paris- - Wikipedia
乙女理論とその周辺 -Ecole de Paris- -Limited Edition- (Navel) (18禁) [ゲーム] - Getchu.com


『月に寄りそう乙女の作法』が好評を博したことで発売された本作だが、まず、限定版特典の目玉のひとつであった主人公フルボイスパッチについて。この手の主人公フルボイス化はなかなか難しいもので、モノローグが多い主人公はプレイヤーが大なり小なり自分自身を投影した上で理想のボイスを脳内アフレコしているので、ヘタにボイスを入れてもイメージと異なってキャラの魅力を損なってしまう可能性がある。更に女装ゲーの場合はシチュエーションによって繊細な演じ分けが必要とされる難しい役どころなのだが、さすがは閣下月乃和留都さん(以下先生)というべきか、本当に素晴らしい演技で応えてくれた。
“完全に男の大蔵遊星”“女装しているが、男としての意識が前面に出ている大蔵遊星”“女装しているが、驚いて地が出掛かった小倉朝日”“完全に女装を演じきった小倉朝日”といったシチュエーションによって演じ方をきっちり変えているのみならず“完全に別の声色として作り込んだ”のではなく、すべての演技が「ああ、この遊星君が女装して声色を作ればこの朝日ちゃんの声になりそうだな」という地続き感を維持したものになっている。しかも、その細かな演じ分けのトーン・声色のニュアンスの違いで、今はどんなモードなのか(つまり会話の相手にどのような意識で接しているのか)がその演技力でもって理解できてしまうことが凄い。

正直に言えば、最初にフルボイスでの朝日の声を聴いた時、(中の人が誰なのかを既に知っていて、その人のファンであったにも関わらず)違和感の方が強かった。男性が女装しているという先入観からどことなく低音よりのアルト~カウンターテノールな音域の声を想像していたのに、朝日の声はあまりにもど真ん中ストレートな、いかにもメインヒロイン然とした美少女の声だったので。
だが、プレイしていくうちに違和感が消えていったのは、何より朝日としてのその外見が、まさしく男の願望を体現させたかのような黒髪ロングな美少女であったこと。そして作中における朝日の扱いも、まさに「非の打ち所がない完璧な美少女の理想型」に対するものだったからで。なるほどこれは先入観からくる思い込みで自分の認識が間違っていたのだなぁと素直に納得してしまった。

そんな正統派美少女ボイスは、作中ヒロインとの触れあいのシーンで破壊力を発揮する。ボイス無しの時は、どれだけ作中でそれっぽい描写をされても、脳内で「朝日(遊星)は男である」という意識が第一にあったのでそこまでの怪しい雰囲気は感じなかったのだが、フルボイスになることによってその百合っぽい背徳感が一気に倍増。特にルナとの絡み合いのシーンは、ルナの声色が低音よりなので、高音気味な朝日の演技とのコントラストの妙で百合濃度が致死レベルまで増大しておもわず顔面崩壊。そりゃルナも朝日との関係を不健全な関係だと拒絶しようとするし、だからこそ禁忌を踏み越えてでも「健全な関係を求めたいんだ」と一歩踏み出してしまうルナの決意の重さが際立ってくるし、その後の男バレのシーンでのルナの言動にも説得力が更に生まれるようになっているのだろう。


次に、前作月に寄りそう乙女の作法のアフターストーリーについて。これは本編√エンドのその後を描く物語だが、基本的には「見たいものをお見せします」的なものであって、とりたてて内容に意外性がある訳ではない。……というか、出来の良さが本編と同様にルナ様>>>>>ユーシェ>>>瑞穂>湊となってしまっているのはどうなんだ。前作でのルート毎のクオリティのバラツキを反省したりはしないのか。とはいえ、本編で一度物語を閉じたあとのお話なので、全体的にリラックスした雰囲気で物語が進んでいくのはとても心地良く、正しい意味でのファンディスクの在り方になっているとは思う。それはたとえば衣遠兄様との関係性で、アフタールートでの衣遠兄様の遊星への接し方が、「野望は捨てないがひとりの男子として認めた」という絶妙な距離感となっており、「雌犬の子」と蔑んでいた衣遠の態度がここまで変わったことに妙な感慨を覚えることであったりとか。

そして本編の苦闘を経た末の物語なので、遊星の側にも成長が見られることが何より嬉しい。ユーシェアフターで「(自らの野望に遊星が障害になるので排除せざるをえないことを)察しろ。そして(そう生きざるをえない自分を)許せ」という衣遠に対して、衣遠の思惑に乗せられるけど、それを利用して己は幸せになるのだと胸を張って宣言する遊星。ルナ様アフターで、マンチェスターにある母親の墓前で自らの恋人としてルナを紹介して、「産まれて良かったです。ありがとうございます」「ぼくはお母さまの子に産まれて本当に良かったです。ありがとうございます」と語りかける遊星の姿。本編冒頭で見かけた、生きる意味を見失い彷徨っていたあの少年が、意思の力で世界を変えてここまで辿り着いたのだという感慨に胸が苦しくなる。園遊会で、大事な恋人の誇りを護り通そうと毅然として立つ遊星の姿は、ああ、この子はかつて自分で語っていたようなステキな英国紳士になることが出来たんだなと誇らしい気持ちになる。
だからこそ、「女装ゲー」という本作の売りからは多少外れてしまうかもしれないが、もっと、朝日としての可愛さではなく、遊星としての格好良さ…というか清廉とした凜々しさといったものが見たかったなという贅沢な不満がわき起こらなでもない。フルボイスでの先生の毅然とした演技が良かっただけに尚更。


最後に、本編である乙女理論とその周辺。これはつり乙のバッドエンドで一度女装がバレたあとから派生する物語ということもあるけれど、つり乙本編に比べれば、女装することの重要性というのは下がってるなと感じた。そもそも、メインヒロインのりそなは遊星/朝日が男だって知ってるし。では何が主眼になっているかといえば、これはやはり「大蔵家の、家族の物語」となる。

そのキーマンとしては、やはり前作でも無類の存在感を表していた大蔵衣遠。彼のキャラクター性が大きく掘り下げられ、前作以上に物語に大きく食い込むようになったのがポイントであろう。傲岸不遜・傍若無人・唯我独尊といった単語を地で行くような造形なのに、しかし芸術・才能に対しては誰よりも真摯であり、正統に評価をして最大限の敬意を払うというそのギャップが彼の魅力の大きなひとつ。その彼のバックボーンが大きく掘り下げられたことによって、乙女理論のみならずつり乙本編も含めて「家族」や「才能」に対しての彼の態度の意味合いが補強され、再帰的につり乙時点での衣遠の評価も高めるようになっているのが素晴らしい。物語の始まりであるつり乙バッドエンドの裏に隠された意味合いを知った時の衝撃といったらないし、あのエイプリルフール企画ですら、表層だけみればブラコンを拗らせた衣遠の滑稽さを楽しむもののはずなのに、衣遠の真相を知ってしまうとその姿に切なさを感じ取らざるをえない。
その衣遠の親友であるジャンも物語を通してのキーキャラだが、自らの意思で人生を歩き始めて世の中に認められた人間だったからこそ、遊星にああやって対していたのだろうし、そんな彼だからこそ衣遠の側に居続けることが出来たのだなあとしみじみと。アントワープの4人のエピソードなども、ただの青春の1ページとしてだけではない意味合いを持つよね。

そして、主人公である遊星/朝日。パリで数多の悪意に晒されて心が折れかけたあとで、それでももう一度立ち上がろうと兄妹で手を取り合い自らを鼓舞する朝日の姿で分かるとおり、つり乙本編より遊星/朝日が主体となって動くという意思が強くなっている。そもそもの物語の始まりが前作のバッドエンドがあってもなお女装してまで夢を貫こうとする遊星/朝日の姿勢があってこそだという事もあるが、桜屋敷の中で奮闘していたつり乙と違って側に守るべき対象であるりそなの存在があるということもあってか、より主体的に動こうとする意志が随所に感じ取れるようになっており、大変に気分がいい。りそなの王子であろうと胸を張るシーンなどは(シチュエーションの違いもあるが)つり乙では描写が難しかったものだろう。

ただ、そうやって遊星が主人公として覚醒して、キーキャラである衣遠が深く掘り下げられた反面、せっかく攻略キャラとして抜擢されたはずのりそなが割を食ってしまった感じがするのは残念ではある。遊星の場合、最初からりそなに対しては家族的な愛情からくる守るべき存在として接していたので。その家族愛が恋愛感情へとチャネルが切り替わるのが今ひとつしっくりと来ないのが問題というか。遊星/朝日の合わせ鏡な存在としてのりそなの姿の有り様というのはとても好きで、特にOPムービーの「蛹が繭を飛び出て蝶になる」モチーフが共に並び立って羽ばたくシーケンスは、もしかしたらつり乙本編のルナと朝日のモチーフよりも好きかもしれないのだが、これは恋愛をするヒロインじゃなくても成立するんじゃね?と思わされてしまうのがどうにも。

つり乙の魅力だった大人数でのわいわいとした掛け合いが、舞台をパリに移すことで減じてしまうことを恐れていたがそれは杞憂だった。りそな以外の攻略ヒロインであるメリルの天衣無縫さやエッテのまっすぐさは当然として、非攻略キャラであるリンデ&ヴァリーややリリアーヌ&華花も、もうひとつの大蔵家である駿我&アンソニー兄弟もそれぞれに魅力的。キャラ数が多いのにどいつもこいつも生き生きと動いているのは、『俺たちに翼はない』あたりにも通じる部分があると感じた。桜屋敷の面々をどうやって本作に出してくるのかという命題に対しては、そこにルナ様が居るという存在感だけで、物語における効果を最大限に発揮するような配置にしたのは妙手だった。パリ組を殺さずにルナ様の株を下げない上手いやり方だよね。しかし桜の舞う中での会話を見ると、やっぱりルナ様は別格だなあとつくづく。


大人数での掛け合いといえば、西又の絵柄がつり乙の時に比べても更に上昇しているので、鈴平の絵柄と並べた時の違和感がつり乙の時よりも更に減じられていることも評価の対象だろう。メリルの立ち絵なんかは分かり易いが、今までの画風にあった野暮ったさが大幅に薄れており、西又の絵のはずなのに、一瞬鈴平の絵と見分けが付かなくなるもんな。まあ、イベント絵になるとまだちょっと…ではあるけど、今までから考えれば信じられないくらいの進歩だ。絵柄といえば、朝日がそっぽを向いている立ち絵がつり乙本編の時から好きだったんだけど、今ではのヮのにしか見えないのはどうすればいいのか…

乙女理論の不満点としては、これもやはりルート毎のクオリティのバラツキになってくる。というか、パリってる人は場を華やぐ明るい雰囲気に持っていく役割としては文句の付けようがないくらいに素晴らしいけど、なんて自らがヒロインになった瞬間に霊圧が消えてしまうのか。ただ、その分りそなのルートはとてつもなく素晴らしいしメリルルートもかなり良いので、(製作時間を考えた際の)致し方ないトレードオフと割り切らざるをえないのか。エロゲーとしてはルート毎のバラツキが少ない方がいいんだけど、ユーザー体験としては1ルートだけでも素晴らしいものがあった方が印象が強くなるというジレンマ。



全編通して、作中で語られる「意思が希望を生んで、希望が夢を育てて、夢が世界を変える」とてもいい物語だったと思う。前作であるつり乙をプレイした時点で既に乙りろは発表されていたのだが、その時に「続編があるならこういうものが見たいなあ、やってくれたらいいなあ」と希望していたものはほぼ叶えて貰えたといっていい(特に「大蔵家の物語」の掘り下げは希望以上だった)。つり乙のプレイがほぼ前提の構造なのがやや引っ掛かるが、ファンディスク(というか派生作品)としては正しい有り様と言えなくもないし。
というか、(一時期に比べれば話題作への出演も増えてちったぁ改善されたとはいえ)先生の芸達者な(not芸人)面があまり注目されないことには歯痒い気持ちがあるので、もっと評価されるためにもCS移植とか逆移植とかしてその時に乙女理論も主人公フルボイスにしてくれませんかね蜜柑屋さんや。5万までは出すよ。


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『愛姉妹IV 悔しくて気持ち良かったなんて言えない』 感想

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エルフのサブブランドであるシルキーズの人気シリーズであった「愛姉妹」の最新作だが、構成メンバーが一気にシルキーズプラスに移籍してしまうために結果としてブランド最終作となってしまったという経緯を持つ本作品。愛姉妹といえば「美人姉妹を脅迫して凌辱するも、次第に情に流されて和姦のようにノリが混じっていく」というストーリーラインが基本であり、本作もそこから外れることはない。ないのだが、脅迫的な、ドロドロとしたノリはかなり初期の段階でかき消えてしまい、和姦指向の強いエロに早々に移行してしまったことにはちょっとした肩透かし感を覚えてしまった。

まず、攻略ヒロインたちがどいつもこいつもエッジが立ってて普通じゃない。一番特徴的で一番気に入ったのは姉である愛美で、主人公が母親のネタで脅迫しようとしたのにすべてを喋らせずにまず殴ってくるという「言葉より先に手が出る」タイプのキャラ。しかしさばさばとした気っぷの良い性格で、不覚を取って処女を奪われてもめそめそと嘆くこともないし、中盤以降は「脅迫されているという体裁でエッチを続けるのはめんどくさい。アンタとのセックスは気持ちいいからこのままの関係を続けよう」と自らセックスフレンドとなることを提案してきて思わずのけぞったよ。女神か。まあ、「凌辱されているうちに恋心が芽生えてきて…」といったよくある展開を避けた新しいアプローチだなと感心もしましたが。
それに限らず、愛美は健二との距離感の取り方がとても良い。害意を持たないセフレ以上・恋人未満みたいな空気の中で、エロシーンの前後に差し込まれる微妙に気が抜けた遣り取りがいちいちグッと来るんだけど、特に真っ裸で寝床の上でアイスを食べている愛美とのやりとりが非常にたまらない。外見的にもロングヘア・黒髪・巨乳・ツリ目・姉キャラと役満コースだしな!

愛美以外にも、話の全ての発端となった江利子さんと佳祐のギクシャク夫婦も、清美と奈々子の凸凹親友コンビも、普通とはちょっとズレた感性の持ち主たちだけど面白い奴らだ。ポチャ子も、登場した当初は非常にめんどくさい地雷女だなおい!と顔を顰めたものだが、そのうちに、めんどくさいさも含めて可愛いなこの女、仕方ねーなーと健二にシンクロさせられてしまう。
そんな独特(褒め言葉)な登場人物たちに彩られた本作品は、過去作品に比べたらコミカルなCG(目の描き方を崩したりするような漫符表現)も多めで、どことなくバカゲーっぽさ・エロコメっぽさを漂わせたノリで進む。そんな独特の空気感が頂点に達したのは、ハーレムルートでの家族会議のシーンだろうか。普通の寝取りゲー・凌辱ゲーだったら大層な修羅場になっているはずなのに、馬鹿馬鹿しさを残しつつもエロシーンに結びつけつつ大団円ハーレムエンドへの道筋を付けてしまったことには心底感服した。


そして頭のネジがぶっ飛んだヒロインを受け止める主人公である健二のキャラ立てもひと味もふた味も違う。不幸な生い立ちで現在の境遇も恵まれていない所謂「底辺層」として描写されている彼は、己の肉欲と不幸の腹いせにセレブ家庭をまるごと不幸に陥れようと脅迫するような屑であることは確か。だが、おなじシルキーズのブサイク系主人公でも、『学園催眠隷奴』のデブジさんみたいな完全なる悪性なのかというと、そうではない。
脅迫して凌辱している女の子に泣かれたら途端にアタフタと動揺してしまうし、自分の性欲をヒロインに叩き付けようというよりは、「自分も気持ち良くなるために相手も気持ち良くさせてやろう」「女の子が本気で嫌がる行為を無理強いしても、気持ち良くセックスできないからやらない」という予想外の紳士っぷり。つーか、そもそも凌辱キャラのはずなのに一人称が「僕」という時点でお察しなんだけど、どす黒い闇に染まっておらず、愛嬌があって憎めない。

そんな憎めない健二を、なんだかんだでヒロインたちが受け容れてしまう過程が面白い。健二がブサメンのデブというのは作中で何度も強調されていて、それが覆されるということは一度も無い。ブサメンであることを否定されることもない。だが、今作品のヒロインたちは、それらを前提とした上で、主人公を受け容れてしまう。お前ら脅されたり騙されたり凌辱されたり強姦されたりしてただろ、という突っ込みを入れたくはなるものの、この主人公とヒロインの組み合わせじゃあまあ仕方ないかなという感じで得心がいってしまう。
それは学園エロゲの主人公のハーレム展開並みに現実的には有り得ない展開なのだが、学生ものエロゲの主人公は「絶対にこうはなれない過去の理想型」な訳で、「まず実現しないファンタジー」と割り切って受容できる訳ですよ。でも「ブサメンでデブだけど、気弱で女の子の気持ちを踏みにじれない」なんて自己投影できてしまう主人公が女の子と…なんてシチュエーション、現実から地続きな先にある願望じゃないですか。「(ブサイクだけど)アンタとのセックスは気持ち良くて気に入っている。このまま孕まされたい」「(ブサイクだけど)お兄さん以外とセックスしたくない。このまま孕んだら子供を産みたい」と種付けをせがまれるこの感動ったら!!!!!


原画担当はブランドお馴染みの市川小紗さんだけど、これが非常にエロい。今までの市川原画も非常に淫靡だったけど、たとえば女系家族や河原崎家なんかは塗りが綺麗すぎて、興奮に直結して股間にダイレクトに訴えかけるようなエロさではなかったと個人的には感じていた。エロスはゲームのダウナーかつミステリアスな雰囲気とかも込み込みで感じるものかなーと。
しかし今作は塗りの方向性を変えたのか、陰影の付け方が全体的に強めになって体型の見せ方にメリハリが感じられて非常にエロい。いわゆるエルフ塗りの延長線上なのにここまで直截的にエロくなるというのはわりと予想外。そして市川さんの絵柄自体も全体的に肉感的な重量感を強調する方向になっており、特に愛美のスレンダーなのに自己主張が激しいおっぱいの描写が素晴らしすぎてたまりません。


ツボをこれ以上ないくらいに的確に押さえてこられた本作だが、不満点も無くはない。まずはCGの使い回し・シチュエーションの使い回しが多いこと。ただこれは愛姉妹シリーズという大枠の中では「毎日のように女達を呼びつけてエッチをする」っていう筋立てを外すわけにはいかない以上は仕方ないことではある。調教ゲーとかだってイベント調教じゃない日常の調教シーンにすべて新規CG起こすわけにもいかないから、使い回しはどうしても多くなってしまう訳だし。そもそも使い回しの方法が上手というか、マンネリを感じさせにくいようになってはいる。
でもこの作品はエンディングへの条件分岐がちょっと分かりにくいので(朝昼夜のスケジュール管理や複数キャラ同時進行のフラグの維持とか)、同じシチュエーションを何度も見続けることになることにはストレスを覚えるのよな。攻略に頼っても結構な長丁場だったし、それが不満といえば不満。

それから、ヒロインたちと奇妙な心の交流を重ねて仲良くなっていく過程がもうちょっと見たかったという欲も出てしまっているのだが、これは贅沢な願いだろうか。作品の方向性を考えればそれほど膨らませ切らない今の分量バランスが正解なのだろうけど、キャラ立てがとても上手で主人公との間合いの取り方も一種独特、単純なラブラブ和姦と違う感じだけど確かに何かが繋がっているというのは新境地だったと思うので、勿体なく感じてしまう。シルキーズプラスの移行に伴ってその流れが途切れてしまうとすればとても残念だ。シナリオライターは女系家族3の人らしいので、市川さんともども今後の去就が気になりますわ。


Windows以前のかつての最盛期を知っているユーザーとしては、シルキーズのブランドとしてはやっぱり河原崎家の一族・野々村病院の人々、あとは恋姫ビヨンドといったあたりでブイブイ言わせていた頃の印象が未だに強い。2000年代の再始動後は業界内部のポジションは相対的に減退してはいたものの、アンジェリカのような特徴的なタイトルや女系家族シリーズなどもリリースしていたので、ブランドとしてこれで終わってしまうのは非常に残念ではある。だが、その最後の最後でこのようなとても素晴らしいタイトルを遺してくれたことには心からの感謝の気持ちしかない。ありがとうありがとう。

『月に寄りそう乙女の作法』 感想

月に寄りそう乙女の作法
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Navelのブランド設立10周年記念作品ということで、とても久しぶりになる鈴平ひろ・西又葵のダブル原画なのだけれど、これが今までの印象からガラッと変わっていて。中間色のグラデーションを多用したイマっぽい感じの塗りなんだけど、作品のノーブルな雰囲気にマッチしているし、なにより美麗で目を惹く。CGを見ているだけで綺麗だなーと感心するのは久し振りだ。ルナ様のその全身から醸し出されるオーラは、あの銀髪赤髪の塗りの綺麗さに因るものが少なくないのではなかろうか。鈴平の原画も以前より華やかになっているなあと感じたけど、久し振りに競うことになった相方に引っ張られたのか塗りに引っ張られたのか、野暮ったさに定評のある西又の絵柄までもが洗練されて美麗に見えてきてしまう不思議。いやほんとにね。でも西又絵が悪いという訳でもなく、鈴平絵だけだと線が細くなりすぎそうなところを防いで厚み(デブ的な意味じゃなく)を持たせるいいバランスになっていると感じた。

音楽も全体的に自己主張が強い感じで耳を奪われるので、おおさすがにNavelは音楽強いなあと思っていたら、クレジットでアッチョリケではなくて外注のArte Refactが書いていたことを知ってとても驚いた。だけどその絢爛な作風は、高いクオリティもさることながら、芸術というお題目をあげた今回の作品の雰囲気に寄り添った作りになっていて好感が持てた。思わずサントラ買ってしまったよちくしょう本当にいい出来だなおい。
ボーカル曲はさすがのNavelクオリティで、特にオープニングが良かった。落ち着いたミディアムテンポの楽曲なんだけど、Bメロまではギターとベース・ドラムのシンプルな構成で引っ張っておいてからサビで入るストリングスで一気に盛り上げるという構成が、OPムービーで鳥が羽ばたくシーンと重なることでの開放感に繋がっていて素晴らしく泣ける。(後述するけど)物語の内容にも合っているしね。あとエンディングは明るすぎてちょっと違うんじゃないかな?と思ったりもしたけれど、すべてプレイし終わった後に聞くと頬がにやけてしまうんだからこれで正解なんだろうな。


これはNavelの特徴と言っていいと思うんだけど、全体的にキャラが立っていて、飽きさせない。特にサブ周りにピーキーなキャラを配置して賑やかすというのはSHUFFLE!というよりは俺つばで目立ってたけど、今回もそんな軽妙なやりとりは変わらず。この辺りは、先述した鈴平・西又(あとサブ原画の羽純りお)の複数原画による多様性の厚みが功を奏していたと思う。鈴平キャラだけだと線が細くてコメディを回すのはちょっとキツいかなと思う箇所がままあったし。そんなサブキャラも日常シーンの賑やかし要員としてだけではなくちゃんと物語本筋で教え導く役割を果たしているのは上手だなーと。個人的に気に入ったのはサーシャさんかな。二の線もコメディも張れるいろいろと美味しいポジションよね。

メインヒロインの中でも、ルナ様のキャラ造形は近年希にみるヒットと言えるだろう。誇り高い立ち居振る舞い、思わず自然に傅いてしまうような気品・言動というのはなかなか表現しにくいはずなのに、プレイしていると、朝日がわずか2ヶ月くらいで従者としての心根になりきってしまった理由が、八千代やメイドたちが尊敬の念を持って接する理由が、散々な目に遭わされながらもユーシェが付き合い続ける理由が、ちゃんと分かる。朝日ならずとも「ありがとうございます。お優しいルナ様」と跪きたくなってしまう。ルナ様の場合は銀髪赤目というキャラデザインの時点で大勝利という気持ちもなくはないが、そのデザインに負けないだけの内実を入れ込んだライター勢はほんと偉い。卯衣さんの演技は棒読みに定評があるんだけど、今回はとても良いンダナ。いやダウナー系って演技の違いを付けるの難しいはずなんだけどきっちり演じ分けてるし本当に良かったですよ。朝日に対しての感情を持て余して戸惑っているあたりの演技は出色。エロシーンでの言葉責めも最高でした。


しかし何より、主人公である大蔵遊星/小倉朝日のキャラ造形が素晴らしいんだ。女装ものの定番として、主人公が一番可愛くて「こんなに可愛い子が女の子のはずがない」を地で行くような、もう男でもいいやというレベルの可愛さ。でもそれだけではなくて、何より強い意志の強さ……というよりも欲求がある。女装して学園に潜入するという事実を許容しているわけではないけれど、そんな無理筋を通してでも、胸に芽生えてしまった「人生を笑って過ごしたい」という希望、「憧れたジャンと同じ服飾の世界に進みたい」という夢に殉じたいと強く願う遊星。こと女装潜入というシチュエーションは、そのキッカケが受動的な(主人公にとっては本意ではない)外的要因によるものが殆どなんだけど、本作は主人公である遊星/朝日の内からわき上がる欲求によるものだということが物語のポイント。
そうなるに至った切欠というか、大蔵遊星という人格がどのようにして成り立っていったかという説明をプロローグの走馬燈の辺りで一気に見せてしまうというのはなかなかのバクチな手法だけれど、今回についてはアリかなと。走馬燈で描かれた、純粋過ぎてどこか虚ろな現実味に欠ける遊星少年がその内面に潜んでいるというバックボーンを理解しているからこそ、本編での朝日の天使のような無私の立ち振る舞いに作り物っぽさを感じにくいというか、ああこの子は本心からそう思ってるんだろうなあと納得できるし、ある種の痛ましさを覚えるようになっている。

つまるところ、本作品はなにより遊星/朝日の物語なのだろう。純粋ではあるもののどこか歪な空虚さを抱えた遊星/朝日が、世界を見て、人を知り、己の進むべき道を見出すことによってそのうつろな洞を愛で埋めていく。出来が良かったルナ様・ユーシェのルートで顕著だけれど、彼ら彼女らに襲いかかる困難を打破するためには朝日の努力によってブレイクスルーを起こすことが必要になるのだけれど、そこには物語の要請で無理矢理捩じ込んだような印象はなく、とにかく頑張ってくれ、是非とも朝日を救ってあげてくれという見守るような気持ちが強くなってしまうのだ。
だからこそ、俺が一番グッと来たシーンは、ルナ様ルートでの衣遠兄様と和解するシーンだったりするわけですよ。捨てられ戸惑う子供のような怯えた眼差しをしながらそれでも何かを期待するかのような遊星の姿と、そこでなにかを振り切って年長者としての姿勢をはじめて見せる衣遠兄様の姿というのは、プロローグの走馬燈から地続きとしての大蔵遊星の物語を締めるものとしてはピッタリだった。りそなは割を食った感じがあるし衣遠兄様も含めて大蔵一族の物語をもっと見たいなあと思うので、続編の乙女理論ではその辺を深掘りしてくれることに強く期待したい。


まあ、ちょろっと難点といえば、場面転換のアイキャッチで出てくる「ドーン!」っていう効果音がデカすぎることかな。雰囲気重視のタイトルなんだから、そこはもうちょっと考えて欲しかったというか。俺つばみたいにコメディ主体の作品ならばそれほどには気にならなかったと思うが。でも、その演出があるから後をひかないというか、ザクザクとぶった切るテンポの良さにも繋がっているように見えるから悩ましいところではある。
それから、まあ、ルート毎の出来の格差かな。つーか、露骨に鈴平担当と西又担当でガクンとレベル変わりませんかおい。瑞穂ルートは悪くないんだけど、ルナ/ユーシェに比べると正直落ちる。湊もキャラとしてはとても可愛いし好感が持てるし不憫可愛いんだけど、自ルートの内容は、おいそれ服飾関係ないじゃねえかよなんで新婚さんみたいに同棲してるんだよというツッコミが先に立ってしまってそのなんというか。服飾の素人だからこそというアプローチだったり、昔からゆうちょを知ってるからこそというアプローチでも良かったんじゃないのかなーって。


魅力的なキャラが織りなすコメディ部分とシリアス部分のバランス取りが絶妙で物語としても(ルート毎のバラツキはあるとはいえ)おおむね上質。CG音楽を含めたパッケージの完成度も高く、ブランド設立10周年記念という名前に負けない、相応しいものに仕上がっていたと思う。
だが、そういう客観評価を飛び越えたところで、俺の心のひだの柔らかいところを突かれてしまった。傷付いて独りで震えていたふたつの彷徨える魂が、その欠けた魂の片割れを見い出して、比翼の鳥のように大空に羽ばたいていく。そんな心象の有り様が、変わりゆく光景がとても魅力的で、とても素敵だった。今回の路線は絶対に支持したいので、今度出る続編の『乙女理論とその周辺』には全力出しますわ。

『この大空に、翼をひろげて』感想

この大空に、翼をひろげて
この大空に、翼をひろげて 初回限定版(PULLTOP) (18禁) [ゲーム] - Getchu.com
この大空に、翼をひろげて - Wikipedia
この大空に、翼をひろげてとは (コノオオゾラニツバサヲヒロゲテとは) [単語記事] - ニコニコ大百科


看板として長らくブランドを支えていた創立メンバーがSEVEN WONDERを設立して離脱、仕切り直しになった新生プルトップの第一弾。メインの題材がビジュアル的にそれほど映えるとは言えない「グライダー制作」だし、キャラ立てもそれほど目立つ何かがあるわけでない…というかぶっちゃけ地味だし、更に言えばキャラデザ(原画)も初見では目を惹くものではないしということで、要素だけ抜き出してみれば、とても受けるような内容には思えませんでした。予約したのも「今までプルトップ買い続けてたし、とりあえず買ってみようか。五行なずな出るし」くらいの適当な気持ちでした正直。

ところが、豪快に積んだままだったのを巷間の良い評判に釣られて重い腰を上げてプレイしてみたらこれが面白い。グイグイと物語に引き込まれてしまう。

まず素晴らしいのは、メインライターである紺野アスタの十八番である青春群像劇の描写。青春真っ盛りな少年少女たちの、キラキラと光り輝く高揚感と、力及ばず項垂れる無力感。抜けるような青空の爽やかな清涼感と夕暮れ時を帰る道ばたの寂寞感。個人的にとても好きだった『夏ノ雨』でもそうだったけれど、一回しかない青春を謳歌している彼ら彼女にフォーカスを当てた物語を書かせると、紺野氏は本当に上手ですわ。ありふれた、珍しい題材ではないというのは事実だけど、そんな手垢に塗れた題材をここまでのものに昇華させていることはなかなか出来ることじゃない。

しかもその物語を成立させるための方法が「ギミックや仕掛けに頼らず、安逸な方向に逃げず、尺を取って描写を重ねることで物語に厚みを持たせていく」という古典的かつスタンダードな手法ではあることは特筆すべきだろう。昨今のドッグイヤーを地で行くエロゲ(ひいてはオタク業界の)風潮からすれば、面白いのは当然で、それをブーストさせる仕掛け(作品上のものでも広報的なものでも良い)が無ければヒットには繋がらないものだけど、そういうブーストなしに物語の力だけを恃みとするストロングスタイルで真っ正面から特攻して、しかもセールス的にも評価的にも成功しているというのは凄いし、偉い。
これは後付けになってしまうけれど、体験版が公開された段階でかなり話題になったことも、体験版収録の分量だけでもその物語のボリュームをじゅうぶんに実感できるだけのものだったからこそだろう。いや、やっぱり地味ではあるんですが。

使い方に感心したのが画面演出全般。背景画像に独立して動く場所(風車とか)があったりカットインやSDアニメーションといった最近重視される要素は大体取り揃えているんだけれど、その使い方がとてもスマート。演出に力を入れた作品は、ともすれば「俺様の超絶凝りまくったサイコーな演出を観ろ!」的な意識を感じることがままあるのだが(偏見)今作にはそのような肥大化した我は感じにくい。あくまで作品に従属するものという立ち居振る舞いにはある種の上品さと清潔さを感じた。(清潔さ、というのはこの作品のキーワードのひとつだと思う)


まあ、無条件で賞賛する訳ではなくって、難点もちらほら。たとえば物語を牽引するところでご都合主義っぽい側面が何度も顔を出すことで、それこそ「幻と言われていたモーニンググローリーがなんで毎回きっちり発生するんだよ(笑)」とかね。それまでのストーリーラインの中で助走をつけての上でのことなのでそれほどごり押し感はないんだが、これがもっとボリュームが短い作品だったらフルボッコにされててもおかしくない。もともと現実世界においても発生のメカニズムが細かく解き明かされている訳じゃ無いんだから、なんかそれっぽい理屈を付けるだけでも(風ヶ浦市のシチュエーションだけがかなり特殊だとかなんだとか)受ける印象はだいぶ違ったのではなかろうか。

それから、ルート毎の出来のバラツキも気になった。紺野アスタが手掛けたメインルートはともかく、双子とあげはのルートはちょっとレベルが落ちる。作品全体として見た時のバランスを取るために、いわゆる失敗ルートとして設定されていることは兎も角としても、主人公のキャラ立てもブレ気味だし、(特にあげはルートで顕著だったが)内面描写とか地の文の割合が減って会話劇主体になるところには違和感が強かった。普通のエロゲだったらそれほど気にならなかったところだろうが、それまでの長い共通部分での丁寧な描写に感心していたところに、テイストが突然変わってしまっては、どうしてもね。
演出絡みでは、BGM切り替えのタイミングやシーン切り替えが唐突すぎて、ブツ切り感を感じることが多々あったのはとても残念。ものすごく残念。せっかく雰囲気を盛り上げるいい演出をしているというのに台無しだよ。演出自体や歌曲の出来そのものは良いだけに、これはかなり残念だったし、次回作があるなら是非改善してほしいところだ。


対して想定外の収穫としては、当初思っていたよりもエロが良かったということ。尺もそこそこ長めで描写も適度にねちっこいし、シチュエーションも硬軟取り混ぜてバリエーションがある(アナルとマジイキがあったのは意外)。しかし何より、ヒロインがエッチに対してアグレッシブで積極的なのが気に入った。「ビッチ」「淫乱」ではないしかといって「イチャラブ」ともまた違って、快楽を得ることに対して正直でいるところに若い盛りの少年少女っぽい印象があるとでも言うか。きっちりギシアンしているのに、それほど退廃的な香りにはならずどこか爽やかさがあるのよね。
予約特典の「スイートラブパッチ」の内容が公開された時は、「エロの回数が増えることは嬉しいけどプルトップレベルじゃそんなに嬉しくないなあ」などと不遜なことを考えていたというのに、コンプした後はきっちり予約で購入していた過去の自分に五体投地で感謝の心を捧げるレベルでございます。パッチで追加されるシチュエーションがコスプレエッチというのも、本編プレイ後のご褒美感の演出としては悪くないんじゃないかと。個人的には双子との3Pと先輩の野外プレイがツボでございましたよ。これは今までのプルトップの流れとは言いにくいし、企画・ディレクターのYowつながりで旧・千世の遺伝子が流れているのかなあ、などと思ったりもした。あそこも意外と(失礼)エロが濃かったし。


プルトップといえば創立メンバーである椎原・たけやコンビか、ゆのはな・かにしの等の丸谷・藤原の外注ラインがメインのブランドであるという印象が強くあったが、本作はそれらの流れを断ち切って、これからの流れが見えてくるいい作品に仕上がったと思う。自分を含めた今までのプルトップを好んでいたユーザーがどう感じるか、受け入れてくれるのかというのは今後の課題になっていくのだろうけれど、すくなくともその入り口である1発目としては文句の付けようがないものになっているんじゃないだろうか。次にも期待したい。……まずはFDを開けないとな。

『春季限定ポコ・ア・ポコ!』 コンプリート

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『リアル妹がいる大泉くんのばあい』『キッキングホース★ラプソディ』に続く“ハニカム文庫”の三作目(旧シトラスの宮蔵プロデュースな低価格タイトル『死神の接吻は別離の味』を含めれば四作目)。キャラ数を絞って人間関係の密度を上げることで、プレイ時のボリューム感を高める設計にしているのは過去作と同様。実績が弱いライターということで気にしていたシナリオ部分についても、文章運びには余計なクセもなく読みやすいし、掛け合いのテンポ感も悪くない。システム上の細かい画面演出は下手なフルプライスタイトル以上に頑張っているし、ワイド解像度対応になって立ち絵演出の迫力が増しており視覚的な楽しさも強い。(システムといえば、既読メッセージのバックログで地点を指定すると“シーンごと”巻き戻ることが出来るのがオッ!と思ったらEDスタッフロール見たら安心の合資会社ワムソフトの名前があってなるほど納得)
道具立てやテーマ設定がプレーンでアクが少ない分、キャラの魅力とそれを支える声優の演技の占める比重は高い。まずインパクトがあるのは、駄目妹っぷりを十二分に発揮している残念美少女な藍。原画がタコ焼き氏でかなり極まった残念なシスコンっぷりというところにはリアル妹の残影が仄見えますな。つか、所々で聴ける低音が効いたダミ声がどうにも白井黒子(しかも変態淑女の度合いがアップした超電磁砲のほう)を思い出してしまって困ったわ。そして藍とは別ベクトルで残念なのが天才肌でつかみ所がないトリックスター体質の桜。藤咲ウサの脱力しまくりな演技とここぞとばかりの半目ドヤ顔はマジでイラッ☆とくるわ(誉め言葉)。そんなふたりと比べると、夏海は一見するとベタなツンデレキャラのテンプレ通りのように見えるかもしれないが、そんな彼女の魅力は個別ルートに入ってからが真髄。長年秘めていた想いが叶えられた嬉しさのあまりにひとり悶え狂う姿がもう可愛くて可愛くて何度もリピートしてしまった。さすがの悠木姉妹クオリティー。アチ恋なんかもそうだけど、こういう突き抜け方をした時の五行なずなの演技の破壊力・突破力はとても素晴らしいよね、ほんと。

今回前面に押し出されている“青春”“青さ”“若さ”というテーマは調理方法が難しく、実際本作でもちょこちょこと首を傾げる箇所があった。無茶な局面を打破するための推進剤が登場人物(主に主人公)の精神的な未熟さ・若さに依っているのはどうなのかとツッコミを入れたくもなる。だが、そういう青さがあってこその青春だという言い方も出来るので、一概に否定しきれない。“青春”というテーマ設定は、ある一定のシチュエーションを切り取って短い尺で密度を濃く描いた方がその空気感を表現し易いはずだが(他ジャンルの小説や漫画とかでも短編の方が破綻してボロが出にくいよね)本作ではその意図は一定レベルで成功していたとは思う。

エロ成分が過去作と比較すると明らかに物足りないところは本作で一番残念な点だった。それはテキスト描写の薄さもさることながら、キャラの性向に根ざしたエロじゃない=凡庸なシチュエーションの普通のエロシーンに落ち着いてしまっているところが大きいのかなと思う。ていうかあんなにエロス溢れるウェイトレス姿の桜の脇コキシチュが無かったのは納得できねー。おるごぅる女史の生き霊はそういうエロシチュの拘り部分にこそ宿るべきだっただろう猛省しろ。過去作が結構ツボを突いてくるエロシチュが多く実用性が高かっただけに落胆の度合いも尚更。


良くも悪くもクセがないフラットな作風なので、過去作と比較した時に、おるごぅる(残念な妹)と保住圭(いちゃラブ)という「得意な作風が確立され、既にある程度の実績と評価を得ている」ライターに比べると今回担当の瀬尾順はその辺りのインパクトが弱い。そのため、いまひとつ歯ごたえに欠けるなあ、なにが強いアクセントになるものが欲しかったなぁと思ってしまうものの、全体的なバランスとしては悪くない……というかかなり良く、価格以上の価値は確実にあった。過去作とはちょっと違った方向性の作風でありながらも、基底となる部分の統一感は同じ匂いを感じるあたりは宮蔵プロデュースのラインのパッケージングの上手さが窺えるというもの。エピローグでタイトルバックを変化させることで「終わりよければすべて良し」的な爽やかな読了感を醸成させる演出はもはやハニカム文庫のお家芸。
おるごぅると保住圭だけだったら「ライター人気におんぶにだっこ」と揶揄されても仕方がなかっただろうが、既存作品で特段の実績がある訳ではない書き手を起用して(本作の内容を見る限り、今回の瀬尾順さんは地力はある人だと思うが)ここまでの作品に仕立て上げてくるあたり、宮蔵プロデュース作品の今までの好評価はフェイクやフロックではなく実力によるものだったと証明されたのではないだろうか。“ハニカム文庫”のレーベルイメージは本作で確固たるものになったと言えるだろう。当然ハニカム文庫レーベルの次回作にも期待しているのだけど、個人的な願望としては、今までのノウハウを生かして、メッセージ性の強いシナリオライターが描くコンパクトに纏まったストーリーものが見てみたいなぁと思ったりしている。

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