乙女理論とその周辺-Ecole de Paris-
乙女理論とその周辺 -Ecole de Paris- - Wikipedia
乙女理論とその周辺 -Ecole de Paris- -Limited Edition- (Navel) (18禁) [ゲーム] - Getchu.com
『月に寄りそう乙女の作法』が好評を博したことで発売された本作だが、まず、限定版特典の目玉のひとつであった主人公フルボイスパッチについて。この手の主人公フルボイス化はなかなか難しいもので、モノローグが多い主人公はプレイヤーが大なり小なり自分自身を投影した上で理想のボイスを脳内アフレコしているので、ヘタにボイスを入れてもイメージと異なってキャラの魅力を損なってしまう可能性がある。更に女装ゲーの場合はシチュエーションによって繊細な演じ分けが必要とされる難しい役どころなのだが、さすがは閣下月乃和留都さん(以下先生)というべきか、本当に素晴らしい演技で応えてくれた。
“完全に男の大蔵遊星”“女装しているが、男としての意識が前面に出ている大蔵遊星”“女装しているが、驚いて地が出掛かった小倉朝日”“完全に女装を演じきった小倉朝日”といったシチュエーションによって演じ方をきっちり変えているのみならず“完全に別の声色として作り込んだ”のではなく、すべての演技が「ああ、この遊星君が女装して声色を作ればこの朝日ちゃんの声になりそうだな」という地続き感を維持したものになっている。しかも、その細かな演じ分けのトーン・声色のニュアンスの違いで、今はどんなモードなのか(つまり会話の相手にどのような意識で接しているのか)がその演技力でもって理解できてしまうことが凄い。
正直に言えば、最初にフルボイスでの朝日の声を聴いた時、(中の人が誰なのかを既に知っていて、その人のファンであったにも関わらず)違和感の方が強かった。男性が女装しているという先入観からどことなく低音よりのアルト~カウンターテノールな音域の声を想像していたのに、朝日の声はあまりにもど真ん中ストレートな、いかにもメインヒロイン然とした美少女の声だったので。
だが、プレイしていくうちに違和感が消えていったのは、何より朝日としてのその外見が、まさしく男の願望を体現させたかのような黒髪ロングな美少女であったこと。そして作中における朝日の扱いも、まさに「非の打ち所がない完璧な美少女の理想型」に対するものだったからで。なるほどこれは先入観からくる思い込みで自分の認識が間違っていたのだなぁと素直に納得してしまった。
そんな正統派美少女ボイスは、作中ヒロインとの触れあいのシーンで破壊力を発揮する。ボイス無しの時は、どれだけ作中でそれっぽい描写をされても、脳内で「朝日(遊星)は男である」という意識が第一にあったのでそこまでの怪しい雰囲気は感じなかったのだが、フルボイスになることによってその百合っぽい背徳感が一気に倍増。特にルナとの絡み合いのシーンは、ルナの声色が低音よりなので、高音気味な朝日の演技とのコントラストの妙で百合濃度が致死レベルまで増大しておもわず顔面崩壊。そりゃルナも朝日との関係を不健全な関係だと拒絶しようとするし、だからこそ禁忌を踏み越えてでも「健全な関係を求めたいんだ」と一歩踏み出してしまうルナの決意の重さが際立ってくるし、その後の男バレのシーンでのルナの言動にも説得力が更に生まれるようになっているのだろう。
次に、前作月に寄りそう乙女の作法のアフターストーリーについて。これは本編√エンドのその後を描く物語だが、基本的には「見たいものをお見せします」的なものであって、とりたてて内容に意外性がある訳ではない。……というか、出来の良さが本編と同様にルナ様>>>>>ユーシェ>>>瑞穂>湊となってしまっているのはどうなんだ。前作でのルート毎のクオリティのバラツキを反省したりはしないのか。とはいえ、本編で一度物語を閉じたあとのお話なので、全体的にリラックスした雰囲気で物語が進んでいくのはとても心地良く、正しい意味でのファンディスクの在り方になっているとは思う。それはたとえば衣遠兄様との関係性で、アフタールートでの衣遠兄様の遊星への接し方が、「野望は捨てないがひとりの男子として認めた」という絶妙な距離感となっており、「雌犬の子」と蔑んでいた衣遠の態度がここまで変わったことに妙な感慨を覚えることであったりとか。
そして本編の苦闘を経た末の物語なので、遊星の側にも成長が見られることが何より嬉しい。ユーシェアフターで「(自らの野望に遊星が障害になるので排除せざるをえないことを)察しろ。そして(そう生きざるをえない自分を)許せ」という衣遠に対して、衣遠の思惑に乗せられるけど、それを利用して己は幸せになるのだと胸を張って宣言する遊星。ルナ様アフターで、マンチェスターにある母親の墓前で自らの恋人としてルナを紹介して、「産まれて良かったです。ありがとうございます」「ぼくはお母さまの子に産まれて本当に良かったです。ありがとうございます」と語りかける遊星の姿。本編冒頭で見かけた、生きる意味を見失い彷徨っていたあの少年が、意思の力で世界を変えてここまで辿り着いたのだという感慨に胸が苦しくなる。園遊会で、大事な恋人の誇りを護り通そうと毅然として立つ遊星の姿は、ああ、この子はかつて自分で語っていたようなステキな英国紳士になることが出来たんだなと誇らしい気持ちになる。
だからこそ、「女装ゲー」という本作の売りからは多少外れてしまうかもしれないが、もっと、朝日としての可愛さではなく、遊星としての格好良さ…というか清廉とした凜々しさといったものが見たかったなという贅沢な不満がわき起こらなでもない。フルボイスでの先生の毅然とした演技が良かっただけに尚更。
最後に、本編である乙女理論とその周辺。これはつり乙のバッドエンドで一度女装がバレたあとから派生する物語ということもあるけれど、つり乙本編に比べれば、女装することの重要性というのは下がってるなと感じた。そもそも、メインヒロインのりそなは遊星/朝日が男だって知ってるし。では何が主眼になっているかといえば、これはやはり「大蔵家の、家族の物語」となる。
そのキーマンとしては、やはり前作でも無類の存在感を表していた大蔵衣遠。彼のキャラクター性が大きく掘り下げられ、前作以上に物語に大きく食い込むようになったのがポイントであろう。傲岸不遜・傍若無人・唯我独尊といった単語を地で行くような造形なのに、しかし芸術・才能に対しては誰よりも真摯であり、正統に評価をして最大限の敬意を払うというそのギャップが彼の魅力の大きなひとつ。その彼のバックボーンが大きく掘り下げられたことによって、乙女理論のみならずつり乙本編も含めて「家族」や「才能」に対しての彼の態度の意味合いが補強され、再帰的につり乙時点での衣遠の評価も高めるようになっているのが素晴らしい。物語の始まりであるつり乙バッドエンドの裏に隠された意味合いを知った時の衝撃といったらないし、あのエイプリルフール企画ですら、表層だけみればブラコンを拗らせた衣遠の滑稽さを楽しむもののはずなのに、衣遠の真相を知ってしまうとその姿に切なさを感じ取らざるをえない。
その衣遠の親友であるジャンも物語を通してのキーキャラだが、自らの意思で人生を歩き始めて世の中に認められた人間だったからこそ、遊星にああやって対していたのだろうし、そんな彼だからこそ衣遠の側に居続けることが出来たのだなあとしみじみと。アントワープの4人のエピソードなども、ただの青春の1ページとしてだけではない意味合いを持つよね。
そして、主人公である遊星/朝日。パリで数多の悪意に晒されて心が折れかけたあとで、それでももう一度立ち上がろうと兄妹で手を取り合い自らを鼓舞する朝日の姿で分かるとおり、つり乙本編より遊星/朝日が主体となって動くという意思が強くなっている。そもそもの物語の始まりが前作のバッドエンドがあってもなお女装してまで夢を貫こうとする遊星/朝日の姿勢があってこそだという事もあるが、桜屋敷の中で奮闘していたつり乙と違って側に守るべき対象であるりそなの存在があるということもあってか、より主体的に動こうとする意志が随所に感じ取れるようになっており、大変に気分がいい。りそなの王子であろうと胸を張るシーンなどは(シチュエーションの違いもあるが)つり乙では描写が難しかったものだろう。
ただ、そうやって遊星が主人公として覚醒して、キーキャラである衣遠が深く掘り下げられた反面、せっかく攻略キャラとして抜擢されたはずのりそなが割を食ってしまった感じがするのは残念ではある。遊星の場合、最初からりそなに対しては家族的な愛情からくる守るべき存在として接していたので。その家族愛が恋愛感情へとチャネルが切り替わるのが今ひとつしっくりと来ないのが問題というか。遊星/朝日の合わせ鏡な存在としてのりそなの姿の有り様というのはとても好きで、特にOPムービーの「蛹が繭を飛び出て蝶になる」モチーフが共に並び立って羽ばたくシーケンスは、もしかしたらつり乙本編のルナと朝日のモチーフよりも好きかもしれないのだが、これは恋愛をするヒロインじゃなくても成立するんじゃね?と思わされてしまうのがどうにも。
つり乙の魅力だった大人数でのわいわいとした掛け合いが、舞台をパリに移すことで減じてしまうことを恐れていたがそれは杞憂だった。りそな以外の攻略ヒロインであるメリルの天衣無縫さやエッテのまっすぐさは当然として、非攻略キャラであるリンデ&ヴァリーややリリアーヌ&華花も、もうひとつの大蔵家である駿我&アンソニー兄弟もそれぞれに魅力的。キャラ数が多いのにどいつもこいつも生き生きと動いているのは、『俺たちに翼はない』あたりにも通じる部分があると感じた。桜屋敷の面々をどうやって本作に出してくるのかという命題に対しては、そこにルナ様が居るという存在感だけで、物語における効果を最大限に発揮するような配置にしたのは妙手だった。パリ組を殺さずにルナ様の株を下げない上手いやり方だよね。しかし桜の舞う中での会話を見ると、やっぱりルナ様は別格だなあとつくづく。
大人数での掛け合いといえば、西又の絵柄がつり乙の時に比べても更に上昇しているので、鈴平の絵柄と並べた時の違和感がつり乙の時よりも更に減じられていることも評価の対象だろう。メリルの立ち絵なんかは分かり易いが、今までの画風にあった野暮ったさが大幅に薄れており、西又の絵のはずなのに、一瞬鈴平の絵と見分けが付かなくなるもんな。まあ、イベント絵になるとまだちょっと…ではあるけど、今までから考えれば信じられないくらいの進歩だ。絵柄といえば、朝日がそっぽを向いている立ち絵がつり乙本編の時から好きだったんだけど、今ではのヮのにしか見えないのはどうすればいいのか…
乙女理論の不満点としては、これもやはりルート毎のクオリティのバラツキになってくる。というか、パリってる人は場を華やぐ明るい雰囲気に持っていく役割としては文句の付けようがないくらいに素晴らしいけど、なんて自らがヒロインになった瞬間に霊圧が消えてしまうのか。ただ、その分りそなのルートはとてつもなく素晴らしいしメリルルートもかなり良いので、(製作時間を考えた際の)致し方ないトレードオフと割り切らざるをえないのか。エロゲーとしてはルート毎のバラツキが少ない方がいいんだけど、ユーザー体験としては1ルートだけでも素晴らしいものがあった方が印象が強くなるというジレンマ。
全編通して、作中で語られる「意思が希望を生んで、希望が夢を育てて、夢が世界を変える」とてもいい物語だったと思う。前作であるつり乙をプレイした時点で既に乙りろは発表されていたのだが、その時に「続編があるならこういうものが見たいなあ、やってくれたらいいなあ」と希望していたものはほぼ叶えて貰えたといっていい(特に「大蔵家の物語」の掘り下げは希望以上だった)。つり乙のプレイがほぼ前提の構造なのがやや引っ掛かるが、ファンディスク(というか派生作品)としては正しい有り様と言えなくもないし。
というか、(一時期に比べれば話題作への出演も増えてちったぁ改善されたとはいえ)先生の芸達者な(not芸人)面があまり注目されないことには歯痒い気持ちがあるので、もっと評価されるためにもCS移植とか逆移植とかしてその時に乙女理論も主人公フルボイスにしてくれませんかね蜜柑屋さんや。5万までは出すよ。
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哀しみの機械 - 『月に寄りそう乙女の作法』 感想
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『月に寄りそう乙女の作法』が好評を博したことで発売された本作だが、まず、限定版特典の目玉のひとつであった主人公フルボイスパッチについて。この手の主人公フルボイス化はなかなか難しいもので、モノローグが多い主人公はプレイヤーが大なり小なり自分自身を投影した上で理想のボイスを脳内アフレコしているので、ヘタにボイスを入れてもイメージと異なってキャラの魅力を損なってしまう可能性がある。更に女装ゲーの場合はシチュエーションによって繊細な演じ分けが必要とされる難しい役どころなのだが、さすがは
“完全に男の大蔵遊星”“女装しているが、男としての意識が前面に出ている大蔵遊星”“女装しているが、驚いて地が出掛かった小倉朝日”“完全に女装を演じきった小倉朝日”といったシチュエーションによって演じ方をきっちり変えているのみならず“完全に別の声色として作り込んだ”のではなく、すべての演技が「ああ、この遊星君が女装して声色を作ればこの朝日ちゃんの声になりそうだな」という地続き感を維持したものになっている。しかも、その細かな演じ分けのトーン・声色のニュアンスの違いで、今はどんなモードなのか(つまり会話の相手にどのような意識で接しているのか)がその演技力でもって理解できてしまうことが凄い。
正直に言えば、最初にフルボイスでの朝日の声を聴いた時、(中の人が誰なのかを既に知っていて、その人のファンであったにも関わらず)違和感の方が強かった。男性が女装しているという先入観からどことなく低音よりのアルト~カウンターテノールな音域の声を想像していたのに、朝日の声はあまりにもど真ん中ストレートな、いかにもメインヒロイン然とした美少女の声だったので。
だが、プレイしていくうちに違和感が消えていったのは、何より朝日としてのその外見が、まさしく男の願望を体現させたかのような黒髪ロングな美少女であったこと。そして作中における朝日の扱いも、まさに「非の打ち所がない完璧な美少女の理想型」に対するものだったからで。なるほどこれは先入観からくる思い込みで自分の認識が間違っていたのだなぁと素直に納得してしまった。
そんな正統派美少女ボイスは、作中ヒロインとの触れあいのシーンで破壊力を発揮する。ボイス無しの時は、どれだけ作中でそれっぽい描写をされても、脳内で「朝日(遊星)は男である」という意識が第一にあったのでそこまでの怪しい雰囲気は感じなかったのだが、フルボイスになることによってその百合っぽい背徳感が一気に倍増。特にルナとの絡み合いのシーンは、ルナの声色が低音よりなので、高音気味な朝日の演技とのコントラストの妙で百合濃度が致死レベルまで増大しておもわず顔面崩壊。そりゃルナも朝日との関係を不健全な関係だと拒絶しようとするし、だからこそ禁忌を踏み越えてでも「健全な関係を求めたいんだ」と一歩踏み出してしまうルナの決意の重さが際立ってくるし、その後の男バレのシーンでのルナの言動にも説得力が更に生まれるようになっているのだろう。
次に、前作月に寄りそう乙女の作法のアフターストーリーについて。これは本編√エンドのその後を描く物語だが、基本的には「見たいものをお見せします」的なものであって、とりたてて内容に意外性がある訳ではない。……というか、出来の良さが本編と同様にルナ様>>>>>ユーシェ>>>瑞穂>湊となってしまっているのはどうなんだ。前作でのルート毎のクオリティのバラツキを反省したりはしないのか。とはいえ、本編で一度物語を閉じたあとのお話なので、全体的にリラックスした雰囲気で物語が進んでいくのはとても心地良く、正しい意味でのファンディスクの在り方になっているとは思う。それはたとえば衣遠兄様との関係性で、アフタールートでの衣遠兄様の遊星への接し方が、「野望は捨てないがひとりの男子として認めた」という絶妙な距離感となっており、「雌犬の子」と蔑んでいた衣遠の態度がここまで変わったことに妙な感慨を覚えることであったりとか。
そして本編の苦闘を経た末の物語なので、遊星の側にも成長が見られることが何より嬉しい。ユーシェアフターで「(自らの野望に遊星が障害になるので排除せざるをえないことを)察しろ。そして(そう生きざるをえない自分を)許せ」という衣遠に対して、衣遠の思惑に乗せられるけど、それを利用して己は幸せになるのだと胸を張って宣言する遊星。ルナ様アフターで、マンチェスターにある母親の墓前で自らの恋人としてルナを紹介して、「産まれて良かったです。ありがとうございます」「ぼくはお母さまの子に産まれて本当に良かったです。ありがとうございます」と語りかける遊星の姿。本編冒頭で見かけた、生きる意味を見失い彷徨っていたあの少年が、意思の力で世界を変えてここまで辿り着いたのだという感慨に胸が苦しくなる。園遊会で、大事な恋人の誇りを護り通そうと毅然として立つ遊星の姿は、ああ、この子はかつて自分で語っていたようなステキな英国紳士になることが出来たんだなと誇らしい気持ちになる。
だからこそ、「女装ゲー」という本作の売りからは多少外れてしまうかもしれないが、もっと、朝日としての可愛さではなく、遊星としての格好良さ…というか清廉とした凜々しさといったものが見たかったなという贅沢な不満がわき起こらなでもない。フルボイスでの先生の毅然とした演技が良かっただけに尚更。
最後に、本編である乙女理論とその周辺。これはつり乙のバッドエンドで一度女装がバレたあとから派生する物語ということもあるけれど、つり乙本編に比べれば、女装することの重要性というのは下がってるなと感じた。そもそも、メインヒロインのりそなは遊星/朝日が男だって知ってるし。では何が主眼になっているかといえば、これはやはり「大蔵家の、家族の物語」となる。
そのキーマンとしては、やはり前作でも無類の存在感を表していた大蔵衣遠。彼のキャラクター性が大きく掘り下げられ、前作以上に物語に大きく食い込むようになったのがポイントであろう。傲岸不遜・傍若無人・唯我独尊といった単語を地で行くような造形なのに、しかし芸術・才能に対しては誰よりも真摯であり、正統に評価をして最大限の敬意を払うというそのギャップが彼の魅力の大きなひとつ。その彼のバックボーンが大きく掘り下げられたことによって、乙女理論のみならずつり乙本編も含めて「家族」や「才能」に対しての彼の態度の意味合いが補強され、再帰的につり乙時点での衣遠の評価も高めるようになっているのが素晴らしい。物語の始まりであるつり乙バッドエンドの裏に隠された意味合いを知った時の衝撃といったらないし、あのエイプリルフール企画ですら、表層だけみればブラコンを拗らせた衣遠の滑稽さを楽しむもののはずなのに、衣遠の真相を知ってしまうとその姿に切なさを感じ取らざるをえない。
その衣遠の親友であるジャンも物語を通してのキーキャラだが、自らの意思で人生を歩き始めて世の中に認められた人間だったからこそ、遊星にああやって対していたのだろうし、そんな彼だからこそ衣遠の側に居続けることが出来たのだなあとしみじみと。アントワープの4人のエピソードなども、ただの青春の1ページとしてだけではない意味合いを持つよね。
そして、主人公である遊星/朝日。パリで数多の悪意に晒されて心が折れかけたあとで、それでももう一度立ち上がろうと兄妹で手を取り合い自らを鼓舞する朝日の姿で分かるとおり、つり乙本編より遊星/朝日が主体となって動くという意思が強くなっている。そもそもの物語の始まりが前作のバッドエンドがあってもなお女装してまで夢を貫こうとする遊星/朝日の姿勢があってこそだという事もあるが、桜屋敷の中で奮闘していたつり乙と違って側に守るべき対象であるりそなの存在があるということもあってか、より主体的に動こうとする意志が随所に感じ取れるようになっており、大変に気分がいい。りそなの王子であろうと胸を張るシーンなどは(シチュエーションの違いもあるが)つり乙では描写が難しかったものだろう。
ただ、そうやって遊星が主人公として覚醒して、キーキャラである衣遠が深く掘り下げられた反面、せっかく攻略キャラとして抜擢されたはずのりそなが割を食ってしまった感じがするのは残念ではある。遊星の場合、最初からりそなに対しては家族的な愛情からくる守るべき存在として接していたので。その家族愛が恋愛感情へとチャネルが切り替わるのが今ひとつしっくりと来ないのが問題というか。遊星/朝日の合わせ鏡な存在としてのりそなの姿の有り様というのはとても好きで、特にOPムービーの「蛹が繭を飛び出て蝶になる」モチーフが共に並び立って羽ばたくシーケンスは、もしかしたらつり乙本編のルナと朝日のモチーフよりも好きかもしれないのだが、これは恋愛をするヒロインじゃなくても成立するんじゃね?と思わされてしまうのがどうにも。
つり乙の魅力だった大人数でのわいわいとした掛け合いが、舞台をパリに移すことで減じてしまうことを恐れていたがそれは杞憂だった。りそな以外の攻略ヒロインであるメリルの天衣無縫さやエッテのまっすぐさは当然として、非攻略キャラであるリンデ&ヴァリーややリリアーヌ&華花も、もうひとつの大蔵家である駿我&アンソニー兄弟もそれぞれに魅力的。キャラ数が多いのにどいつもこいつも生き生きと動いているのは、『俺たちに翼はない』あたりにも通じる部分があると感じた。桜屋敷の面々をどうやって本作に出してくるのかという命題に対しては、そこにルナ様が居るという存在感だけで、物語における効果を最大限に発揮するような配置にしたのは妙手だった。パリ組を殺さずにルナ様の株を下げない上手いやり方だよね。しかし桜の舞う中での会話を見ると、やっぱりルナ様は別格だなあとつくづく。
大人数での掛け合いといえば、西又の絵柄がつり乙の時に比べても更に上昇しているので、鈴平の絵柄と並べた時の違和感がつり乙の時よりも更に減じられていることも評価の対象だろう。メリルの立ち絵なんかは分かり易いが、今までの画風にあった野暮ったさが大幅に薄れており、西又の絵のはずなのに、一瞬鈴平の絵と見分けが付かなくなるもんな。まあ、イベント絵になるとまだちょっと…ではあるけど、今までから考えれば信じられないくらいの進歩だ。絵柄といえば、朝日がそっぽを向いている立ち絵がつり乙本編の時から好きだったんだけど、今ではのヮのにしか見えないのはどうすればいいのか…
乙女理論の不満点としては、これもやはりルート毎のクオリティのバラツキになってくる。というか、パリってる人は場を華やぐ明るい雰囲気に持っていく役割としては文句の付けようがないくらいに素晴らしいけど、なんて自らがヒロインになった瞬間に霊圧が消えてしまうのか。ただ、その分りそなのルートはとてつもなく素晴らしいしメリルルートもかなり良いので、(製作時間を考えた際の)致し方ないトレードオフと割り切らざるをえないのか。エロゲーとしてはルート毎のバラツキが少ない方がいいんだけど、ユーザー体験としては1ルートだけでも素晴らしいものがあった方が印象が強くなるというジレンマ。
全編通して、作中で語られる「意思が希望を生んで、希望が夢を育てて、夢が世界を変える」とてもいい物語だったと思う。前作であるつり乙をプレイした時点で既に乙りろは発表されていたのだが、その時に「続編があるならこういうものが見たいなあ、やってくれたらいいなあ」と希望していたものはほぼ叶えて貰えたといっていい(特に「大蔵家の物語」の掘り下げは希望以上だった)。つり乙のプレイがほぼ前提の構造なのがやや引っ掛かるが、ファンディスク(というか派生作品)としては正しい有り様と言えなくもないし。
というか、(一時期に比べれば話題作への出演も増えてちったぁ改善されたとはいえ)先生の芸達者な(not芸人)面があまり注目されないことには歯痒い気持ちがあるので、もっと評価されるためにもCS移植とか逆移植とかしてその時に乙女理論も主人公フルボイスにしてくれませんかね蜜柑屋さんや。5万までは出すよ。
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