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Dies irae ドラマCD 「Todestag Verloren」

Dies irae ドラマCD「Todestag Verloren」 | MUSIC | Dies irae Portal Site

Dies iraeのアニメ化企画に伴う再始動展開の第一弾として、新たなドラマCDが発売された。コンテンツを再び転がすための助走期間というか、準備も兼ねてという意味合いを多分に含んでいるであろう今回のドラマCD。今回描かれたのはかつてのカップリング人気投票でも評判が高かったマキナ(ゲッツ・フォン・ベルリッヒンゲン)とロートス・ライヒハートの2人を主軸に、グラズヘイムでふたりが雌雄を決して「聖槍十三騎士団が全員揃ったとき」のこと。ただ、それは今まで描かれていなかった情景ではあるものの、既存の情報から推測可能であって衝撃の新事実が隠されているという訳でもなかったので、どことなしの消化試合感があるなと思わされてしまったのが残念でならない。このエピソード自体はファーブラの頃から待ち望んでいたものであるだけに。
ついでに言えば、CGと文章というイマジネーション想起の補助がないところで音声とSEだけでバトルが展開することには、迫力の無さというか、端的に言って”燃え切らない”感があり、ドラマCDという媒体の限界を感じずにはおれない。これは今回に限らず以前のドラマCDでも感じたところではあるとはいえ、表現媒体を変更することの難しさということをあらためて認識することにもなり、アニメ化に対しての懸念事が増えたといえなくもない。

……だがそれでも、あのBGMにあの声優陣があのキャラクター達にあらためて声を付けているというその事実だけで、不覚にも心が沸き立ってしまったことも事実であるとは認めずにはおれない。Dies iraeというコンテンツのポテンシャルというか、キャラクターにもそれを演じる声優陣にもその舞台背景にも大きな力があるということをあらためて再確認させられてしまい、正田の術中にまんまとハマってしまったようで悔しいったらありゃしない。以下雑感。
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『Dies irae』アニメ化プロジェクト終了記念 スペシャルムービー公開

Dies iraeアニメ化プロジェクト
美少女ゲーム「Dies irae」アニメ化プロジェクト 1日でクラウドファンディングの目標達成 - ねとらぼ

Dies iraeのアニメ化を支援するクラウドファンディングの出資者特典として、限定公開のデモムービーが公開された。Dies iraeのクラウドファンディングプロジェクトは、結果としては当初の目標額の3倍を上回る1億円近い金額の出資が集まったということで耳目を集めており、「その他大勢」として埋もれないだけの話題性の創出という点においても成功した…と言えるのだろう。

(以下、長文でDies irae CF化プロジェクトへの愚痴が続きます。閲覧注意)

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『乙女理論とその周辺-Ecole de Paris-』 感想

乙女理論とその周辺-Ecole de Paris-
乙女理論とその周辺 -Ecole de Paris- - Wikipedia
乙女理論とその周辺 -Ecole de Paris- -Limited Edition- (Navel) (18禁) [ゲーム] - Getchu.com


『月に寄りそう乙女の作法』が好評を博したことで発売された本作だが、まず、限定版特典の目玉のひとつであった主人公フルボイスパッチについて。この手の主人公フルボイス化はなかなか難しいもので、モノローグが多い主人公はプレイヤーが大なり小なり自分自身を投影した上で理想のボイスを脳内アフレコしているので、ヘタにボイスを入れてもイメージと異なってキャラの魅力を損なってしまう可能性がある。更に女装ゲーの場合はシチュエーションによって繊細な演じ分けが必要とされる難しい役どころなのだが、さすがは閣下月乃和留都さん(以下先生)というべきか、本当に素晴らしい演技で応えてくれた。
“完全に男の大蔵遊星”“女装しているが、男としての意識が前面に出ている大蔵遊星”“女装しているが、驚いて地が出掛かった小倉朝日”“完全に女装を演じきった小倉朝日”といったシチュエーションによって演じ方をきっちり変えているのみならず“完全に別の声色として作り込んだ”のではなく、すべての演技が「ああ、この遊星君が女装して声色を作ればこの朝日ちゃんの声になりそうだな」という地続き感を維持したものになっている。しかも、その細かな演じ分けのトーン・声色のニュアンスの違いで、今はどんなモードなのか(つまり会話の相手にどのような意識で接しているのか)がその演技力でもって理解できてしまうことが凄い。

正直に言えば、最初にフルボイスでの朝日の声を聴いた時、(中の人が誰なのかを既に知っていて、その人のファンであったにも関わらず)違和感の方が強かった。男性が女装しているという先入観からどことなく低音よりのアルト~カウンターテノールな音域の声を想像していたのに、朝日の声はあまりにもど真ん中ストレートな、いかにもメインヒロイン然とした美少女の声だったので。
だが、プレイしていくうちに違和感が消えていったのは、何より朝日としてのその外見が、まさしく男の願望を体現させたかのような黒髪ロングな美少女であったこと。そして作中における朝日の扱いも、まさに「非の打ち所がない完璧な美少女の理想型」に対するものだったからで。なるほどこれは先入観からくる思い込みで自分の認識が間違っていたのだなぁと素直に納得してしまった。

そんな正統派美少女ボイスは、作中ヒロインとの触れあいのシーンで破壊力を発揮する。ボイス無しの時は、どれだけ作中でそれっぽい描写をされても、脳内で「朝日(遊星)は男である」という意識が第一にあったのでそこまでの怪しい雰囲気は感じなかったのだが、フルボイスになることによってその百合っぽい背徳感が一気に倍増。特にルナとの絡み合いのシーンは、ルナの声色が低音よりなので、高音気味な朝日の演技とのコントラストの妙で百合濃度が致死レベルまで増大しておもわず顔面崩壊。そりゃルナも朝日との関係を不健全な関係だと拒絶しようとするし、だからこそ禁忌を踏み越えてでも「健全な関係を求めたいんだ」と一歩踏み出してしまうルナの決意の重さが際立ってくるし、その後の男バレのシーンでのルナの言動にも説得力が更に生まれるようになっているのだろう。


次に、前作月に寄りそう乙女の作法のアフターストーリーについて。これは本編√エンドのその後を描く物語だが、基本的には「見たいものをお見せします」的なものであって、とりたてて内容に意外性がある訳ではない。……というか、出来の良さが本編と同様にルナ様>>>>>ユーシェ>>>瑞穂>湊となってしまっているのはどうなんだ。前作でのルート毎のクオリティのバラツキを反省したりはしないのか。とはいえ、本編で一度物語を閉じたあとのお話なので、全体的にリラックスした雰囲気で物語が進んでいくのはとても心地良く、正しい意味でのファンディスクの在り方になっているとは思う。それはたとえば衣遠兄様との関係性で、アフタールートでの衣遠兄様の遊星への接し方が、「野望は捨てないがひとりの男子として認めた」という絶妙な距離感となっており、「雌犬の子」と蔑んでいた衣遠の態度がここまで変わったことに妙な感慨を覚えることであったりとか。

そして本編の苦闘を経た末の物語なので、遊星の側にも成長が見られることが何より嬉しい。ユーシェアフターで「(自らの野望に遊星が障害になるので排除せざるをえないことを)察しろ。そして(そう生きざるをえない自分を)許せ」という衣遠に対して、衣遠の思惑に乗せられるけど、それを利用して己は幸せになるのだと胸を張って宣言する遊星。ルナ様アフターで、マンチェスターにある母親の墓前で自らの恋人としてルナを紹介して、「産まれて良かったです。ありがとうございます」「ぼくはお母さまの子に産まれて本当に良かったです。ありがとうございます」と語りかける遊星の姿。本編冒頭で見かけた、生きる意味を見失い彷徨っていたあの少年が、意思の力で世界を変えてここまで辿り着いたのだという感慨に胸が苦しくなる。園遊会で、大事な恋人の誇りを護り通そうと毅然として立つ遊星の姿は、ああ、この子はかつて自分で語っていたようなステキな英国紳士になることが出来たんだなと誇らしい気持ちになる。
だからこそ、「女装ゲー」という本作の売りからは多少外れてしまうかもしれないが、もっと、朝日としての可愛さではなく、遊星としての格好良さ…というか清廉とした凜々しさといったものが見たかったなという贅沢な不満がわき起こらなでもない。フルボイスでの先生の毅然とした演技が良かっただけに尚更。


最後に、本編である乙女理論とその周辺。これはつり乙のバッドエンドで一度女装がバレたあとから派生する物語ということもあるけれど、つり乙本編に比べれば、女装することの重要性というのは下がってるなと感じた。そもそも、メインヒロインのりそなは遊星/朝日が男だって知ってるし。では何が主眼になっているかといえば、これはやはり「大蔵家の、家族の物語」となる。

そのキーマンとしては、やはり前作でも無類の存在感を表していた大蔵衣遠。彼のキャラクター性が大きく掘り下げられ、前作以上に物語に大きく食い込むようになったのがポイントであろう。傲岸不遜・傍若無人・唯我独尊といった単語を地で行くような造形なのに、しかし芸術・才能に対しては誰よりも真摯であり、正統に評価をして最大限の敬意を払うというそのギャップが彼の魅力の大きなひとつ。その彼のバックボーンが大きく掘り下げられたことによって、乙女理論のみならずつり乙本編も含めて「家族」や「才能」に対しての彼の態度の意味合いが補強され、再帰的につり乙時点での衣遠の評価も高めるようになっているのが素晴らしい。物語の始まりであるつり乙バッドエンドの裏に隠された意味合いを知った時の衝撃といったらないし、あのエイプリルフール企画ですら、表層だけみればブラコンを拗らせた衣遠の滑稽さを楽しむもののはずなのに、衣遠の真相を知ってしまうとその姿に切なさを感じ取らざるをえない。
その衣遠の親友であるジャンも物語を通してのキーキャラだが、自らの意思で人生を歩き始めて世の中に認められた人間だったからこそ、遊星にああやって対していたのだろうし、そんな彼だからこそ衣遠の側に居続けることが出来たのだなあとしみじみと。アントワープの4人のエピソードなども、ただの青春の1ページとしてだけではない意味合いを持つよね。

そして、主人公である遊星/朝日。パリで数多の悪意に晒されて心が折れかけたあとで、それでももう一度立ち上がろうと兄妹で手を取り合い自らを鼓舞する朝日の姿で分かるとおり、つり乙本編より遊星/朝日が主体となって動くという意思が強くなっている。そもそもの物語の始まりが前作のバッドエンドがあってもなお女装してまで夢を貫こうとする遊星/朝日の姿勢があってこそだという事もあるが、桜屋敷の中で奮闘していたつり乙と違って側に守るべき対象であるりそなの存在があるということもあってか、より主体的に動こうとする意志が随所に感じ取れるようになっており、大変に気分がいい。りそなの王子であろうと胸を張るシーンなどは(シチュエーションの違いもあるが)つり乙では描写が難しかったものだろう。

ただ、そうやって遊星が主人公として覚醒して、キーキャラである衣遠が深く掘り下げられた反面、せっかく攻略キャラとして抜擢されたはずのりそなが割を食ってしまった感じがするのは残念ではある。遊星の場合、最初からりそなに対しては家族的な愛情からくる守るべき存在として接していたので。その家族愛が恋愛感情へとチャネルが切り替わるのが今ひとつしっくりと来ないのが問題というか。遊星/朝日の合わせ鏡な存在としてのりそなの姿の有り様というのはとても好きで、特にOPムービーの「蛹が繭を飛び出て蝶になる」モチーフが共に並び立って羽ばたくシーケンスは、もしかしたらつり乙本編のルナと朝日のモチーフよりも好きかもしれないのだが、これは恋愛をするヒロインじゃなくても成立するんじゃね?と思わされてしまうのがどうにも。

つり乙の魅力だった大人数でのわいわいとした掛け合いが、舞台をパリに移すことで減じてしまうことを恐れていたがそれは杞憂だった。りそな以外の攻略ヒロインであるメリルの天衣無縫さやエッテのまっすぐさは当然として、非攻略キャラであるリンデ&ヴァリーややリリアーヌ&華花も、もうひとつの大蔵家である駿我&アンソニー兄弟もそれぞれに魅力的。キャラ数が多いのにどいつもこいつも生き生きと動いているのは、『俺たちに翼はない』あたりにも通じる部分があると感じた。桜屋敷の面々をどうやって本作に出してくるのかという命題に対しては、そこにルナ様が居るという存在感だけで、物語における効果を最大限に発揮するような配置にしたのは妙手だった。パリ組を殺さずにルナ様の株を下げない上手いやり方だよね。しかし桜の舞う中での会話を見ると、やっぱりルナ様は別格だなあとつくづく。


大人数での掛け合いといえば、西又の絵柄がつり乙の時に比べても更に上昇しているので、鈴平の絵柄と並べた時の違和感がつり乙の時よりも更に減じられていることも評価の対象だろう。メリルの立ち絵なんかは分かり易いが、今までの画風にあった野暮ったさが大幅に薄れており、西又の絵のはずなのに、一瞬鈴平の絵と見分けが付かなくなるもんな。まあ、イベント絵になるとまだちょっと…ではあるけど、今までから考えれば信じられないくらいの進歩だ。絵柄といえば、朝日がそっぽを向いている立ち絵がつり乙本編の時から好きだったんだけど、今ではのヮのにしか見えないのはどうすればいいのか…

乙女理論の不満点としては、これもやはりルート毎のクオリティのバラツキになってくる。というか、パリってる人は場を華やぐ明るい雰囲気に持っていく役割としては文句の付けようがないくらいに素晴らしいけど、なんて自らがヒロインになった瞬間に霊圧が消えてしまうのか。ただ、その分りそなのルートはとてつもなく素晴らしいしメリルルートもかなり良いので、(製作時間を考えた際の)致し方ないトレードオフと割り切らざるをえないのか。エロゲーとしてはルート毎のバラツキが少ない方がいいんだけど、ユーザー体験としては1ルートだけでも素晴らしいものがあった方が印象が強くなるというジレンマ。



全編通して、作中で語られる「意思が希望を生んで、希望が夢を育てて、夢が世界を変える」とてもいい物語だったと思う。前作であるつり乙をプレイした時点で既に乙りろは発表されていたのだが、その時に「続編があるならこういうものが見たいなあ、やってくれたらいいなあ」と希望していたものはほぼ叶えて貰えたといっていい(特に「大蔵家の物語」の掘り下げは希望以上だった)。つり乙のプレイがほぼ前提の構造なのがやや引っ掛かるが、ファンディスク(というか派生作品)としては正しい有り様と言えなくもないし。
というか、(一時期に比べれば話題作への出演も増えてちったぁ改善されたとはいえ)先生の芸達者な(not芸人)面があまり注目されないことには歯痒い気持ちがあるので、もっと評価されるためにもCS移植とか逆移植とかしてその時に乙女理論も主人公フルボイスにしてくれませんかね蜜柑屋さんや。5万までは出すよ。


関連エントリ:
哀しみの機械 - 『月に寄りそう乙女の作法』 感想

『愛姉妹IV 悔しくて気持ち良かったなんて言えない』 感想

愛姉妹Ⅳ 悔しくて気持ち良かったなんて言えない
愛姉妹IV 悔しくて気持ち良かったなんて言えない - アダルト美少女ゲーム - DMM.R18
愛姉妹IV 悔しくて気持ち良かったなんて言えない -市川小紗集大成! 豪華絢爛原画集パッケージ版(一部総天然色)- (シルキーズ) (18禁) [ゲーム] - Getchu.com


エルフのサブブランドであるシルキーズの人気シリーズであった「愛姉妹」の最新作だが、構成メンバーが一気にシルキーズプラスに移籍してしまうために結果としてブランド最終作となってしまったという経緯を持つ本作品。愛姉妹といえば「美人姉妹を脅迫して凌辱するも、次第に情に流されて和姦のようにノリが混じっていく」というストーリーラインが基本であり、本作もそこから外れることはない。ないのだが、脅迫的な、ドロドロとしたノリはかなり初期の段階でかき消えてしまい、和姦指向の強いエロに早々に移行してしまったことにはちょっとした肩透かし感を覚えてしまった。

まず、攻略ヒロインたちがどいつもこいつもエッジが立ってて普通じゃない。一番特徴的で一番気に入ったのは姉である愛美で、主人公が母親のネタで脅迫しようとしたのにすべてを喋らせずにまず殴ってくるという「言葉より先に手が出る」タイプのキャラ。しかしさばさばとした気っぷの良い性格で、不覚を取って処女を奪われてもめそめそと嘆くこともないし、中盤以降は「脅迫されているという体裁でエッチを続けるのはめんどくさい。アンタとのセックスは気持ちいいからこのままの関係を続けよう」と自らセックスフレンドとなることを提案してきて思わずのけぞったよ。女神か。まあ、「凌辱されているうちに恋心が芽生えてきて…」といったよくある展開を避けた新しいアプローチだなと感心もしましたが。
それに限らず、愛美は健二との距離感の取り方がとても良い。害意を持たないセフレ以上・恋人未満みたいな空気の中で、エロシーンの前後に差し込まれる微妙に気が抜けた遣り取りがいちいちグッと来るんだけど、特に真っ裸で寝床の上でアイスを食べている愛美とのやりとりが非常にたまらない。外見的にもロングヘア・黒髪・巨乳・ツリ目・姉キャラと役満コースだしな!

愛美以外にも、話の全ての発端となった江利子さんと佳祐のギクシャク夫婦も、清美と奈々子の凸凹親友コンビも、普通とはちょっとズレた感性の持ち主たちだけど面白い奴らだ。ポチャ子も、登場した当初は非常にめんどくさい地雷女だなおい!と顔を顰めたものだが、そのうちに、めんどくさいさも含めて可愛いなこの女、仕方ねーなーと健二にシンクロさせられてしまう。
そんな独特(褒め言葉)な登場人物たちに彩られた本作品は、過去作品に比べたらコミカルなCG(目の描き方を崩したりするような漫符表現)も多めで、どことなくバカゲーっぽさ・エロコメっぽさを漂わせたノリで進む。そんな独特の空気感が頂点に達したのは、ハーレムルートでの家族会議のシーンだろうか。普通の寝取りゲー・凌辱ゲーだったら大層な修羅場になっているはずなのに、馬鹿馬鹿しさを残しつつもエロシーンに結びつけつつ大団円ハーレムエンドへの道筋を付けてしまったことには心底感服した。


そして頭のネジがぶっ飛んだヒロインを受け止める主人公である健二のキャラ立てもひと味もふた味も違う。不幸な生い立ちで現在の境遇も恵まれていない所謂「底辺層」として描写されている彼は、己の肉欲と不幸の腹いせにセレブ家庭をまるごと不幸に陥れようと脅迫するような屑であることは確か。だが、おなじシルキーズのブサイク系主人公でも、『学園催眠隷奴』のデブジさんみたいな完全なる悪性なのかというと、そうではない。
脅迫して凌辱している女の子に泣かれたら途端にアタフタと動揺してしまうし、自分の性欲をヒロインに叩き付けようというよりは、「自分も気持ち良くなるために相手も気持ち良くさせてやろう」「女の子が本気で嫌がる行為を無理強いしても、気持ち良くセックスできないからやらない」という予想外の紳士っぷり。つーか、そもそも凌辱キャラのはずなのに一人称が「僕」という時点でお察しなんだけど、どす黒い闇に染まっておらず、愛嬌があって憎めない。

そんな憎めない健二を、なんだかんだでヒロインたちが受け容れてしまう過程が面白い。健二がブサメンのデブというのは作中で何度も強調されていて、それが覆されるということは一度も無い。ブサメンであることを否定されることもない。だが、今作品のヒロインたちは、それらを前提とした上で、主人公を受け容れてしまう。お前ら脅されたり騙されたり凌辱されたり強姦されたりしてただろ、という突っ込みを入れたくはなるものの、この主人公とヒロインの組み合わせじゃあまあ仕方ないかなという感じで得心がいってしまう。
それは学園エロゲの主人公のハーレム展開並みに現実的には有り得ない展開なのだが、学生ものエロゲの主人公は「絶対にこうはなれない過去の理想型」な訳で、「まず実現しないファンタジー」と割り切って受容できる訳ですよ。でも「ブサメンでデブだけど、気弱で女の子の気持ちを踏みにじれない」なんて自己投影できてしまう主人公が女の子と…なんてシチュエーション、現実から地続きな先にある願望じゃないですか。「(ブサイクだけど)アンタとのセックスは気持ち良くて気に入っている。このまま孕まされたい」「(ブサイクだけど)お兄さん以外とセックスしたくない。このまま孕んだら子供を産みたい」と種付けをせがまれるこの感動ったら!!!!!


原画担当はブランドお馴染みの市川小紗さんだけど、これが非常にエロい。今までの市川原画も非常に淫靡だったけど、たとえば女系家族や河原崎家なんかは塗りが綺麗すぎて、興奮に直結して股間にダイレクトに訴えかけるようなエロさではなかったと個人的には感じていた。エロスはゲームのダウナーかつミステリアスな雰囲気とかも込み込みで感じるものかなーと。
しかし今作は塗りの方向性を変えたのか、陰影の付け方が全体的に強めになって体型の見せ方にメリハリが感じられて非常にエロい。いわゆるエルフ塗りの延長線上なのにここまで直截的にエロくなるというのはわりと予想外。そして市川さんの絵柄自体も全体的に肉感的な重量感を強調する方向になっており、特に愛美のスレンダーなのに自己主張が激しいおっぱいの描写が素晴らしすぎてたまりません。


ツボをこれ以上ないくらいに的確に押さえてこられた本作だが、不満点も無くはない。まずはCGの使い回し・シチュエーションの使い回しが多いこと。ただこれは愛姉妹シリーズという大枠の中では「毎日のように女達を呼びつけてエッチをする」っていう筋立てを外すわけにはいかない以上は仕方ないことではある。調教ゲーとかだってイベント調教じゃない日常の調教シーンにすべて新規CG起こすわけにもいかないから、使い回しはどうしても多くなってしまう訳だし。そもそも使い回しの方法が上手というか、マンネリを感じさせにくいようになってはいる。
でもこの作品はエンディングへの条件分岐がちょっと分かりにくいので(朝昼夜のスケジュール管理や複数キャラ同時進行のフラグの維持とか)、同じシチュエーションを何度も見続けることになることにはストレスを覚えるのよな。攻略に頼っても結構な長丁場だったし、それが不満といえば不満。

それから、ヒロインたちと奇妙な心の交流を重ねて仲良くなっていく過程がもうちょっと見たかったという欲も出てしまっているのだが、これは贅沢な願いだろうか。作品の方向性を考えればそれほど膨らませ切らない今の分量バランスが正解なのだろうけど、キャラ立てがとても上手で主人公との間合いの取り方も一種独特、単純なラブラブ和姦と違う感じだけど確かに何かが繋がっているというのは新境地だったと思うので、勿体なく感じてしまう。シルキーズプラスの移行に伴ってその流れが途切れてしまうとすればとても残念だ。シナリオライターは女系家族3の人らしいので、市川さんともども今後の去就が気になりますわ。


Windows以前のかつての最盛期を知っているユーザーとしては、シルキーズのブランドとしてはやっぱり河原崎家の一族・野々村病院の人々、あとは恋姫ビヨンドといったあたりでブイブイ言わせていた頃の印象が未だに強い。2000年代の再始動後は業界内部のポジションは相対的に減退してはいたものの、アンジェリカのような特徴的なタイトルや女系家族シリーズなどもリリースしていたので、ブランドとしてこれで終わってしまうのは非常に残念ではある。だが、その最後の最後でこのようなとても素晴らしいタイトルを遺してくれたことには心からの感謝の気持ちしかない。ありがとうありがとう。

『相州戦神館學園 八命陣』 PV1公開

相州戦神館學園 八命陣

そもそも、ここのところは期待感よりも不信感の方が先に立っていた訳ですよ。その大きな理由はやはり、先日の更新で発売日が12月20日と発表されたこと。直截的な物言いをするならば、正田崇は「ファーストリリースの未完成品っぷり」と「その後の派生展開やらでの後付け設定バラマキまくり」という悪癖を持っているというのが周知の事実となっているけれど、果たして今回の戦神館は最後まで書き切れるのか。情報が公開されたのがついこの間の6月だというのに、そこからたった半年で完成まで漕ぎ着けることが果たして可能なのだろうかということに疑念と不信を抱いていた訳です。
正田崇がシナリオを書く作品については、事前に提供される体験版やデモの出来は、最終的な製品版の内容を推量する材料にはなりえない……むしろそれで過剰に期待していると手酷く裏切られるというのは過去2回のやらかしで証明されている。「ディエスや神咒のCS版を開発している頃からネタを仕込んでたはずだし、さすがに今回は間に合うんじゃねーの?」なんて推測はダダ甘だ。ディエスは企画だけなら2004年あたり?から動いていたはずなのに発表初出は2006年になってからで最初の体験版が出たのは更に遅れて2007年の1月。しかもそこから延々と1年間も延期し続けてようやく2007年の12月に発売まで漕ぎ着けたものの、その結果があの怒りの日の惨劇だったってことを忘れてはいませんかお前ら。神咒にしたところで、構想・企画自体はクンフト/ファーブラの開発時期からあったはずで助走期間は十分に取っていたはずなのに蓋を開けてみたらあの体たらくだ。
それから、発売予定日が12月に設定されたというその事実そのものに対して猛烈に不安感がある。年末時期に出すことが悪いとは言わないんだが、07年版ディエスの発売日(=怒りの日)が2007年12月でディエス作中の時間軸も12月。ちなみに07年版の禊ぎをすませたファーブラの発売日もやはり、09年の12月。そんな奇妙な符号があったせいで、07年版の直撃を受けた人間としては、(ただの偶然か狙ってやっているのかは不明だとしても)今回の戦神館の発売日が12月というところに不吉な匂いを感じ取らざるをえない。……というか6年も経過してまだダメージ受けるとは思わなかったよ。俺含めて07年版クラスタのダメージ受けっぷりは笑えんわ。

それでも、過去の罪業を反省して粛々と執筆活動に勤しんでいるのならば、今回こそはと心を落ち着けて待っていられたかもしれない。だが、ファンサービスという言葉を勘違いしているのか最近注目度が上がってきたからって調子ぶっこいてるのかはしらんけど、Twitterで出来の悪い釣り糸を垂らして悦に入っているようでは先が思いやられる。神咒ならばまだ過去作との兼ね合いもあるからという言い訳も立つけれど、完全新作の戦神館でやられたら興醒めだわ。これからの執筆で設定が変わるかもしれないならば混乱するだけだから表に出すなといいたいし、そもそも発売まで半年を切った今のタイミングでまだそんな薄ぼんやりとした状況なのかよと助走を付けて殴りに行きたくなる。lightはマスターアップするまで正田からツイッターのアカウント剥奪して拉致監禁して表舞台から姿を隠させておけと言いたい。精神衛生上よろしくないわ。(ミュートしておけばいいって?いやそういうことじゃなくてな)

あと、これは正田の意向というよりはlightの会社としての方針なんだろうが、またショップ別ドラマCDとかえげつない商法で売りつける気まんまんな雰囲気であることに加えて、エレクトロアームズと抱き合わせでの予約キャンペーンという露骨な展開にも辟易させられる。「社内ライターである高濱亮の名前を売りたいのかもしれないけど、昏式さんとは方向性のベクトルぜんぜん違うからライン分けたほうが統一感出ていいんじゃねえのか」というのが本音。Zero Infinityはまだ積んだままだから分からんけど、Vermilionの時はそのちぐはぐさにケツがむずむずしてましたよこっちは。まあ、アイザックの狂信めいた執着はトシローとの対比も含めてプラス方向の劇的な化学変化でとても良かったので、そこは評価してるよ。面白かったしね。でも、根っこのところのベクトルが違うっぽい印象あるし、そろそろピン立ちさせて、成功も失敗もひとりの肩にひっ被せる形にしないと一皮剥けないんじゃないかねえ。

ちょっと話が逸れた。ということで、せっかくの完全新作ではあるけれど、刺々しくヘイトの空気をまき散らしながら最近の展開を眺めておりました。正田は釣り師としての腕だけは段階を踏む毎に着実にレベルアップしてるからPVや体験版でも露骨に引っかけてくるんだろうが、こちとらそうそう何度も釣られてたまるものかよ、そもそも完全新作だからディエス神咒みたいな思い入れ補正入らないしな!と心理的な閾値を上げて事に備えていた訳です。……ところが。


くっ、いい加減に仕事しなさいよ、この最低ライター……
こ、こんな露骨な釣り糸で私たちユーザーを好きにできると思ったら……



うは、ぬはぁ!ぎ、ぎもぢいひぃ!
むぉおおお~ん! 特典複数買い確実ぅ! (アヘ顔ダブルピース)

やっぱり閣下のロンギヌスには勝てなかったよ……


さんざ悪態ついといて一発でマッハ堕ちかよ!くやしい…!でも…感じちゃう!状態じゃねえかよどんだけ調教されてるんだよ我ながらどこのサトウユキ(敬称略)だよ!!!!! ……という訳で、物語の世界観を浮き上がらせるようなイメージムービー的だったり、還るべき学園生活を象徴するようなキャラクター紹介みたいな情報公開初期のリソースとして順当なものではなく、いきなりぶつけられたのが神咒のPV3とかファーブラPV4みたいに最初から物語のクライマックスに食い込むかのような内容だったことに不意を突かれて、まんまと釣られてしまったというあまりといえばあまりなオチでした。ふーん、今回は学園ものなのか。はいはい狼少年乙。


ムービー本編は水希の回想めいた独白から始まるのだけれど、その語りで指し示している男というのは、果たして過去の神野なのか、水希が過去に夢界の深層に潜った際の元カレ的なアレだったのか、それとも本編開始後の時間軸での四四八なのかが判然としない。そもそも神野が水希と因縁があるのかすら不明で、神野の特殊技能か何かで、過去の水希と誰かのやりとりをなぞっているだけという可能性もあるしな。情報があまりに断片的すぎて、現時点では水希と神野の間には浅からぬ因縁が存在しそうだなあという事くらいしか分からない。
水希が横たわっている燃えさかる戦艦だが、舞台である鎌倉だったら近くに横須賀港があるし、敵方のキーラちゃんがロシア軍人となれば連想するのは日露戦争だしということで、日本海海戦の旗艦の三笠を改造して拠点にするとかかなーとか安直に想像した。皇国の興廃~とZ旗を掲げて最終決戦に挑む→あえなく敗退というのはわりと分かり易い負けフラグの構築方法だし。架空戦記だったら大和の方が厨二病的には美味しいけど、わざわざ公式の説明で「時間軸が明治から大正にかけて固定されている」とか書いているのに昭和まで時代を下るのか?という疑問が出てくるし。(明治期から数えて100年のレンジだから太平洋戦争時代も射程圏内だけどね)
映像では、戦艦の艦橋が宗教建築を思わせるような外観に改造されているように見えた。となるとべんぼうとの協力関係も考慮して逆十字が絡んでいる可能性は高そうなので、3分24秒あたりで姿が見える男が逆十字サイドの首領格じゃないかなーと推測される。神野の途中の詠唱(?)は正田曰く「きりやれんず きりすてれんず きりやれんず」ということで、これはキリエ・エレイソンの聖句。で、キリエ・エレイソンの聖句は東方正教会の典礼でも頻繁に用いられているから、ロシア繋がりでキーラちゃんもとい鋼牙の可能性もあるかもだけど。

と、言うか。水希の一人称だからということもあるだろうけれど、予想していたよりもヒロインをやっているなあというのが率直な感想。「秘密を隠した、先導者としての立場を持つ先輩」という情報からもっとミステリアスな雰囲気を纏っているものと勝手に想像していたんだけど、今回の独白からは苦悩に引き裂かれるひとりの女の子の姿も、神野に対しての雄叫びからは戦うバトルヒロインとしての姿も見ることが出来て、これはど真ん中メインヒロインの風格あるわーと感心した次第。水崎来夢さんの声もストレートな透明感があっていい感じだしね。
そして四四八がマジでイケメン&イケボ&リーダー気質すぎて濡れる。メガネ主人公なのに、なんでこんなにカッコいいのよ、よしやん。そして声もカッコいい。矛盾を抱え込んでそれでも前に進む様を表現しきった先割れスプーン大先生や、豪放磊落で闊達なヒーローを張り通した堀川忍さんとはまた違う方向性で、これはこれで大変素晴らしい。シーザー!! ……でもイケメン&冷静沈着すぎてチンコおっ勃ててる姿があんまり想像できないのはエロゲとしてはどうなんだろうか。

与猶啓至のサウンドは相変わらず最高で何よりだ。2分22秒からの、ぶっちぎりでテンションをクライマックスまで持っていくヨナオ節全開のスラッシュなBGMも然り、ディエスのαやΩを連想させるような壮麗な公式サイトのバックで流れているBGMも然り。このチームの高い評価のかなりの部分は、パラロス以来ずっとハイアベレージを叩き出している与猶神のサウンドの安定感が稼いでいるというのは衆目一致するところだろうが、今回は過去のディエス(バロック)や神咒(和風)みたいなモチーフとなるテーマが無さそうなところで、どういう方法論でもって作品全体を貫くような統一感を出していくのかという点にとても期待している。


覿面に釣られて大騒ぎしている人間が言うなという話ではあるが、今回のPV1に対して、ひとつ強い不満があるので声を大にして言っておきたい。今回の戦神館は過去作と一切の関係がない完全新作であるということを殊更に強調しているというのに、情報公開の最初期の、予約開始された段階で提供されるムービーがあまりに新規ユーザーに対して優しくない内容だったのは販売戦略としては失策なのではないかと思うがどうか。
初見のユーザーにインパクトを与えて購買意欲に結びつけるという考え自体は理解できるが、それは事前知識がなくても映像を見るだけでもサプライズを感じ取れるのであればこそだろう。だが、今回のPV1の内容は、既にサイトや雑誌記事などで提示されているような情報はすべて把握している我々のような“馴染みのお客さん”を想定して、それを前提条件とした上でミスリードさせるような新しい情報を断片的に与えて眩惑させるという意図が見える。これでは、興味を持って公式を覗きにきた新規ユーザーは、いったい何のことを描いているのか分からず呆然となり、一見さんお断りの信者専用ゲーの雰囲気を感じ取って敬遠してしまうのではないだろうか。というか、他のタイトルで同じことやられたら、俺だったら回避してエロ助や2chの評判待ちに回すわ。信者評価なんざ当てにならないからな。
これに限らないが、作品自体が向かう方向性が、既存のディエス・神咒の時の手法を「分かっている」人間にのみ向けたものになってしまうようでは、たとえ世界観を異にする完全新作だとしても、限られた信者を相手取った内輪向けのオナニーの誹りは免れないだろう。既にそのような雰囲気を随所に感じ取っており不安感は募るばかりだが、今後の展開で、そんな斜に構えた自分のようなひねくれ者の危惧を払拭してるくれることを願ってやまない。


(以下、PV1からの抜き書き。ボイスはヒアリングにつき誤読の可能性あり)

「私……負けたんだ……」

炎上する鋼鉄の暴力装置。
彼女らが最後の戦場として臨んだ戦艦は、今や巨大な棺桶と化していた。

燃えているのは艦だけではない。
彼方に見える陸地もまた、紅蓮の業火に包まれている。

海は愉悦にせせら笑う魔王の貌<かお>であるかのごとく、さらなる絶望を与えてやろうと不気味にうねり、鳴動している。

「きりやれんず きりすてれんず きりやれんず ぐろおりあす」

何一つ、何一つとしてここに希望的なものはない。

混沌<べんぼう>があふれる天の下、勝利の凱歌を謳うがごとく、
楽園の夢を求めた男が播磨外道(はるまげどん)を吟じている。

予想通り、順当に、何のひねりもない結末のみを晒しながら、
ここに地獄の釜が開いている。

今度こそただ一人となった水希は宙を見上げ、
もはや祈るべき如何なることも許されないのだと悟っていた。

「さあ、待たせたね。これからだよ」

なぜなら、この悪魔がこれで終わらせるはずなどないのだから。
未来永劫、永遠に。終わらない。終わらない。終わらない悪夢の始まり。

「今の僕は強いだろう? 愛してくれよ」
「神野ぉぉぉぉぉぉ!!!」

噴きあがる嚇怒<かくど>の念は、いったい誰に対してか。
それすらもはや分からない。
ただ思うことは一つだけ。
彼女の胸にある真実はいつだってその一つだけ。

強い男の人が好きだなんて、
何があっても言ってはいけなかったのだ。

でも……ああ、なぜだろう。

すべてを失い、踏みにじられて、
ただ一人残った自分が百年の眠りから覚めた今……
自分の剣を防ぎ続けるこの武技が、
なぜかどうしようもなく懐かしいのだ(・・・・・・)。

知らず涙が溢れ出そうになってくるほど、
胸の大事な部分を疼かせるのだ。


これは何? 何の呪い?
どうしてそんな、有り得ない夢……

「柊……くん……!?」
「嘘……夢だよ…こんなこと…」
「また……逢えた……」

そう、それは百年に渡る夢と現実の物語。


「ねえ……私、邪魔、かな」
「私に逢わない方が良かったって、思ってる?」

「いいや、それだけはない」
「何があっても、お前が悔やむことなんかないんだ世良」
「誰もそんなこと言ったりしない」

いつか何処かで、前にもこんなことがあったかもしれない。
そんな風に今思うのは、気のせいだろうか。

「なあ、戦うぞ。戦って夢から覚めよう」
「これは俺たち全員が望んだことだ。巻き込んだんでも、巻き込まれたんでもない!」

強いってどういうこと? なぜ強さを求めるの?
その答えをこれから俺たちで形にするんだ。

二度と間違えないように。
誰もこの瞬間を後悔したりしないように。

「またこの朝に帰る!」

ただそれこそが、皆で奉じた
戦<イクサ>の真<マコト>と千<アマタ>の信<イノリ>に他ならないから。

「行くぞ!!」